イタリア・ルネサンスの文学者ボッカチオは小説「デカメロン」のなかで、1348年に疫病が故郷を襲ったときの混乱ぶりを書いている。「黒死病」と恐れられたペストだった。難を逃れようと必死の市民の様子を次のように描いた。
▼「病人のいない家や安んじて暮らせる家に寄り集まっては、隠遁(いんとん)の生活をし」、「他人に話しかけられることを恐れ(中略)情報を一切聞こうとせず」(河島英昭訳)。人の命が次々に奪われ、当時のヨーロッパの人口の3分の1が亡くなったとされる。人々は極度の不安におびえ、内に閉じこもるようになった。
▼新型インフルエンザのワクチンの接種がようやく始まった。必要量のワクチン手当てに手間取り、ひとり2回の予定を13歳以上は原則1回にして間に合わせた。世界保健機関が大流行を宣言してから半年近く。政府がまず全力を挙げたのが水際での侵入阻止だったが、大量の人が行き交うなか徒労に終わった。
▼行政が副作用に神経質で、メーカーが量産に二の足を踏んだために、国内でのワクチン生産体制は先進国と思えないほど貧弱だ。海外からの輸入も、副作用被害が起きた際の被害者への補償制度が不備なことが、大きな壁になってきた。流行病への対応が、ボッカチオの時代から進歩していないとは思いたくない。