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こんな話を聞いたことがある。
ある小学生の母親が、子どもに給食ではなく弁当を持たせたいと考え、担任の先生に相談した。
「私の一存では決められない」と担任。校長は「教育委員会に尋ねてみないと」と言葉を濁した。市教委は「県教委に」、県教委は「文部省(当時)に聞いてほしい」と答えた。
文部省に電話した。「いや、それは教育委員会が判断なさることで……」
結局、この件はウヤムヤになった。
■教育の「55年体制」
文部科学省が教育委員会を通じて、はしの上げ下ろしまでコントロールする。学校は何も決められない。一方で文科省、教委、学校のどこが最終的に責任を持つかはあいまい――。
極論すれば、これが長く続いた教育の「1955年体制」だった。
戦後教育は、学校が軍国主義に取り込まれた反省から出発した。1947年にできた旧教育基本法は、政治や官僚機構の介入に歯止めをかけようとした。教育行政は、住民が選挙で選ぶ教育委員会に委ねられた。
だが、この精神は早くから骨抜きになる。自民党結党の翌56年、教育委員公選制が廃止され、かわって地方教育行政法が制定された。文部省が「指導・助言」という形で実質的に教委を縛る仕組みが、できあがった。
文部省の施策には自民党の文教族が影響力を持った。日教組との対立が激しく、そのためにも、教育現場を上から押さえつける必要があった。
中央集権型の教育システムは、戦後日本の高度成長を支える機能は果たした。産業社会は多くの優秀な人材を求め、親は子に学歴をつけさせようと必死になった。文部省は画一的な手法で、教育の大衆化を進めた。
■進行していた危機
ところが、その裏で進行していた病が、やがて教育のゆがみとして指摘されるようになる。受験戦争の弊害、荒れる学校、90年代に噴出したいじめや不登校……。00年ごろからは学力低下が叫ばれた。
ときどきの自民党政権は様々な改革を繰り出した。最大の問題は、システムの土台に手をつけなかったことだ。
上意下達の教育行政は、第一に深刻な「教師の危機」をもたらした。
ピラミッド型組織に組み込まれ、指示に振り回される。生徒を座らせ、プリントをやらせるだけで精いっぱい。「子どもに向き合う時間がとれない」と悲鳴が上がる。燃え尽き、辞めてゆく教師が増え、サラリーマン化した教師の質の低下も指摘される。
子どもたちはどうだろう。
きめ細かな学びが必要なのに、全国一律の物差しでの学力競争に駆り立てられる。近年は、規律や規範が強調されるようになった。
「疲れを感じる」「自分はダメな人間」とアンケートで答える中高生は、米国や中国に比べ際だって多い。
鳩山政権は、この「55年体制」にもメスを入れ、地域や学校に大幅に権限を移そうとしている。
国の役割は、一定の教育水準の維持と、教育環境整備のための財源確保に限定する▽教育行政の責任は自治体の長が負い、教育委員会はそれを監視する機関に改める▽公立小中学校は、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家らが参画する「学校理事会」が運営する――。政権公約や川端達夫文科相の説明によれば、こんな構想だ。
改革が進めば、文科省のあり方も見直しは避けられない。日本の教育、特に義務教育の風景は、一変することになるだろう。
■「学校理事会」を核に
核となるのは、親や地域が学校づくりにかかわる学校理事会だ。
地域の実態や子ども一人ひとりに合わせた教育を、ひざ詰めで話し合う。学校行事からカリキュラムの組み立て、教科書選択、校長の人選まで、信頼関係の中で決めてゆく。教師の創意工夫を尊重し、質の高い実践が生まれるよう支援する。そうした「学校自治」が実現するならば、学びの場は大いに元気を取り戻すはずだ。
学校と地域が連携する試みは、各地ですでに始まっている。教員の人事に意見を言ったり、行事を一緒に考えたり、ボランティアが学校に入ったり。だが、制度的な限界もある。
学校理事会をお飾りにせず、どれだけ学校運営を任せられるか。理事会をチェックする方法は。地域の学校以外の選択肢をどう確保するか。大変な宿題が山のようにある。
教育委員会と自治体の長との関係については、熟慮が必要だろう。
形骸(けいがい)化した教委の現状は、もちろん問題だ。だからといって、市町村長に教育内容の責任まで負わせてしまってよいか。肝心なのは、教育のあり方に地域の人々の意見を反映する仕組みをどうつくるかだ。教育委員公選制の復活を検討してもいい。
親や地域住民である私たち自身の覚悟も問われることになる。
「公教育は行政から提供されるサービスだ」。そんな意識がはびこっていないか。経済危機が家計や雇用を直撃しているが、私たちが学校づくりを引き受けることは、市民社会を鍛え、豊かにすることにつながる。
学校自治の実現に向け、国民的な議論を巻き起こしたい。口火を切ることが政治の役目である。