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10月12日付 編集手帳

 日本が暦を旧暦から欧米と同じ太陽暦に改めたのは1872(明治5)年のことだ。11月になって唐突に「12月3日を明治6年の正月とする」とする布告が出され、世間は大騒ぎになった◆改暦を断行した大隈重信の主眼は文明開化ではなかった。旧暦の明治6年には閏月(うるうづき)があり、官僚に1か月余計に月給を払わねばならない。回顧録で大隈は「財政の困難を(すく)はんため」と真の狙いを明かしている◆後に「隈板(わいはん)内閣」の首相になると、大隈は再び歳出削減に取り組んだ。各省の次官、局長らを与党・憲政党員にすげ替え、内閣に臨時政務調査会を設けて行政の無駄を洗い出そうとした◆政治の刷新は脱官僚とムダの根絶から、というのは今も同じのようだ。鳩山内閣でも行政刷新会議が始動し、補正予算の見直しが大詰めだ◆隈板内閣は官僚の抵抗で予算を組めず、わずか4か月で崩壊した。現内閣の官僚は今のところ協力的なようだが、来年度予算の編成が年内に間に合うかどうか、正念場はこれからだ。下界の政権交代を見物する大隈は、「改暦で13月を追加すべし」と天上でつぶやいているかも知れない。

2009年10月12日01時24分  読売新聞)
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