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【社説】

週のはじめに考える 少子社会と向き合う

2009年10月5日

 文明の成熟段階での必然ともいえる人口減少にも打つ手はある。大和証券グループ会長の私案「出生倍増計画」が話題です。救国の妙手かどうか−。

 人口学研究者によると、日本列島にはこの一万年の間に、成長と停滞を繰り返す四回の人口の長期波動があり、この波を積み重ねて人口を増加させてきたそうです。

 第一の波は縄文時代でピーク時の人口は二十五万人。第二の波は稲作の弥生時代に始まり、成熟期の平安時代の人口は五百万〜七百万人。市場経済が生まれた十四、五世紀からが第三の波で、江戸時代末期の人口は三千二百万人前後だったようです。

 04年人口減の衝撃

 現代は十九世紀に始まる第四の波動期。工業化に支えられた空前の人口成長の時代で、一九〇〇(明治三十三)年に四千六百五十四万人だった人口は、二〇〇四年十二月に一億二千七百八十四万一千人のピークに達し、ついに減少を始めました。

 予測されていたとはいえ、人口減少の現実は「〇四年の衝撃」となって産業界を襲いました。国立社会保障・人口問題研究所の推計では、人口はそのまま減り続け、二〇五〇年には九千五百万人、二一〇〇年には四千八百万人に激減するとの予測、人口の41%が六十五歳以上の超高齢化社会です。

 市場は人口減少分だけ縮小するのではありません。人口減少の予測が投資と需要をスパイラル的に落ち込ませます。産業界には恐怖です。このままでは高齢者を若い世代が支えることを前提にした年金、医療の破綻(はたん)も明らかで、機能不全は現行経済社会のあらゆるシステムに及びかねません。

 この有史以来の危機に直面して私案を世に問うたのが大和証券グループ本社の清田瞭(あきら)会長。「出生倍増計画」には日本復活への道筋との副題が付けられています。

 子ども手当2400万円

 清田私案の特長は、少子化を不可避と受け入れるのではなく、流れに抵抗し反転させ人口増を企画する大胆さです。そのためには「人の想像の枠を超えた発想が必要」として、子ども一人につき月十万円支給をぶち上げます。

 子どもは何人いても出生から二十歳まで手当を給付され、成人するまで一人が二千四百万円を受け取ることになります。非課税、あくまで子どもに対する支給ですから、親の所得や年齢、結婚の有無も問わない給付です。投入されるのは公費、これにより成人までの子育て費用を社会が負担するシステムが作られることになります。

 日本の女性一人が一生に産む子どもの数・合計特殊出生率は二〇〇〇年代には平均一・三一までに落ち込みましたが、ほとんどの家庭が理想とする子どもの数は「二人以上だ」と回答しています。理想の子ども数を下回る理由は「子育てや教育に金がかかりすぎる」

「仕事に差し支える」「家が狭い」など八割が経済的理由。合計特殊出生率低下には産みたくても産めない事情があるのです。

 月十万円の子ども手当は、一・三四の出生率を一・七五に引き上げる効果があります。この子ども手当と育児休業や保育サービスの充実、若年雇用の改善などあらゆる政策の動員で、合計特殊出生率の二以上の引き上げと現在の年間百十万人の出生数の二百万人への倍増が目指されます。

 年二百万人の出生が実現した場合の二一〇〇年時点での人口は一億六千万人、国内総生産(GDP)は三千四百兆円の予測です。二〇一〇年から、15%の消費税を徴収すれば、二一〇〇年までの年平均の消費税収は百三十二兆円。二百万人分の年四十八兆円の子ども手当を賄えるばかりか、財政余剰が生まれ、高齢社会の問題も解決してしまいます。

 思い切った財政投入で子どもを育てる社会の仕組みをつくる私案は画期的です。未来の担い手を育てるのは確かにわれわれ大人の責務です。

 子どもは「社会の宝」でなければなりません。希望すれば産める社会は女性には働く希望や生きる勇気を与えることでしょう。

 気がかりは清田私案が永遠の経済成長を前提に構想されているように感じられることです。それが本当に可能なのかのフッとした疑問です。

 文明の転換点での模索

 産業革命から三百年、化石燃料の大量費消と技術革新で経済成長と人口増加を遂げてきたわれわれの文明はむしろその限界を示しているのではないか。少子化や人口減少、地球温暖化の警告こそその象徴ではないのかの懐疑です。

 資源の枯渇や低成長社会。文明の転換点での新しい価値やライフスタイルの模索。それが少子社会と向き合うもう一つの意味といえないでしょうか。

 

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