♪あなたといつか見た風景 なおさら愛(いと)しくなるよ 胸の中のシャッターを切って焼き付けよう…。気鋭のシンガー・ソングライター秦基博さんの『風景』という曲の一節▼時代はずいぶん違うけれど、万葉集にあるこの和歌とどこか通ずる気がしないでもない。<鞆(とも)の浦の磯のむろの木見むごとに相見し妹(いも)は忘らえめやも>。大伴(おおともの)旅人(たびと)はかつて一緒に見た風景の前で亡き妻を思う。忘れられようか、忘れられるはずがない…▼今はいない人。だが、今もある風景。だから歌になる。旅人の詠んだ瀬戸内海の景勝地・鞆の浦(広島県福山市)を舞台に「景観保護か利便性か」が争われた訴訟で、広島地裁は昨日、住民側の訴えを認め、県と市が進める埋め立て架橋の計画にストップをかける判決を言い渡した▼県や市が主張する渋滞緩和などの利便性は具体的。比べれば、江戸期の風情を残す港や自然の織りなす景観がいくら素晴らしいといっても、それは抽象的だ。そして一般に、具体的な価値の方が重くみられがちである▼だが、抽象的な価値にこそ、人の思いは宿るもの。「利便性」はなりようがないが、「景観」は歌や思い出になる。彼(か)の地の風景が下敷きになったという宮崎駿(はやお)監督のアニメ映画『崖(がけ)の上のポニョ』も一例▼そのあいまいな価値を「国民の財産、公益」と重くみた点にも判決の意味はあるように思う。