卵のような姿のハンプティ・ダンプティが、得意げに講釈を始める。言葉ってやつは素直に言うことを聞かない。しっかり仕事をさせるときは、超過勤務手当を払うんだよ――。ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」の一場面である。
▼数学者でパズル好きのキャロルは、言葉遊びの達人だった。愉快な造語をいくつもつくり、作品の中で披露している。日本語への翻訳は難しいが「柔軟な(lithe)」と「粘っこい(slimy)」を組み合わせて「粘滑な(slithy)」という具合だ。1つの単語に2つ以上の意味を詰め込んで「かばん語」と名づけている。
▼円高容認なのか。強いドルを望むのか。藤井財務相は「かばん語」の達人ではなさそうだ。その発言に為替が乱高下し、産業界は肝を冷やした。言葉の誤解だ曲解だと言っても始まらない。ほんの一言、たった一言に投機筋は食らいつき、瞬く間に解釈が膨らむ。市場に言葉遊びのタネをまくと、大やけどをする。
▼アリスの幻想の世界では、言葉たちは土曜の晩に押し寄せてくる。財務相の発言は先週末の日本の夜中だった。今週末にもトルコで財務相が集まるG7がある。物語の中で卵男はこう語る。僕が言葉を使うときは自分が選んだ意味だけで使うんだ。それ以上でも以下でもない――。通貨の番人もそうあってほしい。