HTTP/1.1 200 OK Date: Sun, 27 Sep 2009 00:17:36 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:一九八五年の日航機墜落事故に直面した地元紙の記者たちの奮闘…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2009年9月27日

 一九八五年の日航機墜落事故に直面した地元紙の記者たちの奮闘や葛藤(かっとう)を描いた横山秀夫さんの小説「クライマーズ・ハイ」に、運輸省航空事故調査委員会(当時)の首席調査官に取材する場面が出てくる▼事故の数日後、事故原因に関する有力情報が入る。事実なら歴史的スクープだ。警察取材に強い記者が裏取り取材に向かう。口ぶりや表情は、限りなくイエスに近いが、調査官は言質を与えなかった▼百パーセント間違いないという確証が得られずに、特ダネの紙面化は見送られた。翌朝、全国紙にすっぱ抜かれるのだが、事故調関係者の守秘義務について考えさせられた▼日航機事故から二十四年。国の事故調査の信頼を揺るがす不祥事が発覚した。二〇〇五年の尼崎JR脱線事故で、航空・鉄道事故調査委員会の元委員が、最終報告書公表の前にJR西日本の山崎正夫前社長にその内容を伝えていたのだ▼元委員と前社長は旧国鉄時代の先輩後輩の間柄。前社長は、新型の自動列車停止装置があれば事故を防げたとする調査委の報告書案の削除や修正を求めたという▼調査官以上に責任の重い委員が調査対象から飲食接待まで受けていたのだから驚きだ。JR西は国鉄出身で鉄道部会長だった元委員にも接触していた。遺族の怒りは当然だ。「国鉄一家」のなれ合いが踏みにじったのは、百七人の命の重さである。

 

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