古い歌集をぱらぱらとめくっていると、一つの歌に吸い寄せられた。<不登校にしたのはお前だ その父のわたしを見ない眼が告げる>(「アップルパイの焼けるまで」斎藤毬子)▼中学校の英語教員の斎藤さんが自身の体験を歌にした。何も言わなくても責められているように感じた父の目。それは「世間」の目につながっていく▼新学期の直前、中学生の自殺が相次いだ。名古屋市では、中学三年の男子生徒が焼身自殺した。以前に、持病をからかわれたこともあったという。静岡県藤枝市では幼なじみの中二の女子生徒が、一緒に飛び降り自殺した▼携帯電話には「先生は気付かないふりをしている」などと書いたメールが残っていた。一人へのいじめは小学四年から始まり、中学も続いた。それでも彼女は学校を休まなかった▼自殺するなら休めばいい…。言うのは簡単だが、渦中の子どもはそんな発想もできないほど疲弊している。子どもが長く休めば、親は周囲からの視線を強く意識する。「学校は行って当たり前」という常識は社会にまだ強く根を張っている▼いじめた側にも、根深い問題がある。暴力の快楽を味わった子どもたちは、将来も暴力をふるい続ける可能性が高い−。大阪教育大の山田正行教授の指摘だ。いじめの罪悪と醜悪さを徹底的に自覚させること。重要だが最も難しい教育テーマである。