ここだけではないだろうが、福島県檜枝岐(ひのえまた)村では毎朝6時になると防災行政無線から音楽が流れる。尾瀬の北側の入り口だから曲は「夏の思い出」。かなりの音量である。村全体に目覚まし時計がセットしてある。そうともいえようか。
▼役場に聞けば、もう20年以上も続いていて「うるさい」と文句が出ることもない。村の人の生活のリズムと同調しているのだろう。しかし、この村で人がつくる音は脇役だ。390平方キロ、山手線の内側の6倍という広さに住むのは600人。森に入るや、遠く近く届いてくるのは自然がつくった音ばかりである。
▼水音。風が立つ瞬間の耳への刺激。少しして草木のざわめき。鳥の声。ハチの羽音。「木の幹に耳をあてていると、やがて木のなかを流れる水の音が聴こえてくることがある。……そんなとき、ぼくはたしかに身も心もくつろいでいる」。作家の高田宏さんが「森を聴く」と題してこう書くそのままの実感がある。
▼それにしても、と改めて感じるのは、どの音1つだってありきたりの擬音語で言い表せないもどかしさだ。ザーもピューもブンブンも全然だめ。人の音のしないところへ出かけ、秋の音に耳を澄ませる。同調する心地よさに浸り、さてこの音をどう表現しようか思案する。きょうからの連休にはそんな体験もいい。