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天声人語

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2009年9月18日(金)付

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 日本航空がジェット機を導入したのは1960年、太平洋路線だった。「空飛ぶ日本間」と呼ばれた機内には生け花が飾られ、座席は西陣織。客室乗務員はトイレで着替え、振り袖で接客した▼これは際物としても、こまやかな日航のサービスが業界の手本となった時代がある。おしぼり、調味料の個別包装も同社から世界に広まったという。以上、航空アナリスト杉浦一機さんの本で知った。残念ながら、書名は『地に墜(お)ちた日本航空』(草思社)だが▼日航が米デルタ航空などと資本提携の交渉に入った。人減らし、赤字路線の廃止だけでは追いつかない経営危機である。甘い再建策に裏切られてきた銀行団は追加融資に腰が引け、「国の翼」のメンツを捨てて同業に助けを請う▼ジェット化までを顧みた「10年史」にある。〈新しい時代の新しい事業を担う自負と、無際限な大空のいざないが心の支柱となった〉。日航の誕生は、占領状態の終わりに重なる慶事だった。独立国なら顔となる航空会社「フラッグ・キャリア」を持つべきだと官民が燃えた▼海外で暮らした頃、空港で見る日本の飛行機は里心をちくりと刺した。定期航路という見えない絆(きずな)に、故国とつながっている安らぎも覚えた。そこはかとない外資への抵抗感は、そうした心情の裏返しだろう▼企業の国籍にこだわる時代ではないが、身を削り、手を尽くしての選択なのか。どんな血を入れるにせよ、「心の支柱」に翻る旗がいまだに親方日の丸では、新政権も支援に身が入るまい。残り時間はそれほどない。

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