あるものを観察するとまず目に入るのは輪郭である。次に局部、そのまた局部と細かいところが目に入ってくる。ところが、局部に明るくなるにつれ根本の輪郭がお留守になる。ただ細かく切り込みさえすれば、自分は立派に進歩したものと考えるらしい――。
▼何やら最近の話のようだが、「素人と黒人(くろうと)」という芸術論で玄人をこてんぱんにしたのは95年前の夏目漱石である。「彼らの得意にやってのける改良とか工夫というものはことごとく部分的で、大きな眼で見ると何の為にあんな所に苦心して喜んでいるのか気の知れない小刀細工をする」。なんとも歯切れがいい。
▼大きな眼を持てるのが素人であり、「こうなると素人が偉くって黒人がつまらない」。これは芸術にとどまらない。きょう発足する鳩山内閣の旗印が「脱官僚主導」なのも玄人臭さを嫌ってのことには違いない。小刀細工に走る閣僚がないかどうか、こちらも大きな眼で見ないといけない。
▼蛇足ながら、漱石の言う「黒人」とはただの玄人、素人はその世界に関心を持つ普通の人なのだそうだ。真の玄人は局部も根本も理解し、つまらぬ素人は滅茶滅茶(めちゃめちゃ)で何も分からないから、どちらも評論に及ばない、とはその通り。「イチロー選手のように天下に恥じない仕事を」と語った鳩山さんは少々気が早い。