HTTP/1.1 200 OK Date: Tue, 15 Sep 2009 00:17:51 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:一九〇一年は昔である。どれくらい昔なのかは、『学問のすゝめ…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2009年9月15日

 一九〇一年は昔である。どれくらい昔なのかは、『学問のすゝめ』の福沢諭吉が亡くなった年、といえば、感じがつかめようか▼さもなくば、日清戦争の六年後、日露戦争の三年前といってもいい。米大リーグで、ウィリー・キーラーが八年連続200安打を達成したのが、その年。まだセザンヌやトルストイが生きていたころの、その大記録を、きのう、イチロー選手が塗り替えた▼前人未到の九年連続。大きな故障がないからこそ可能となった偉業でもあろう。究極の「無事是(これ)名馬」とも言えるが、時速百五十キロで飛ぶ石塊のようなものを体に受けることもある仕事だ。元来が丈夫とか、運がいいだけでできることではない▼身体をいたわるため、自己を律することができる。野球の才に加え、この才もなくては「無事」かつ「名馬」であり続けることなどできまい。例えば、この逸話もその伝か▼米映画『パール・ハーバー』が公開されたころのこと。彼が観(み)にいかないというので、一人の記者がテーマ(真珠湾攻撃)が気に入らないからかと聞いた。彼は、視力を落とすようなものを観ることはないと説明して言った。「たとえば映画、どんな映画もです」(D・シールズ編『イチローUSA語録』)▼つまりは自己管理能力。「飲んだ後のラーメン」程度の誘惑にもすぐ負ける身には、その才だけでも十分まぶしい。

 

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