HTTP/1.1 200 OK Date: Mon, 14 Sep 2009 20:17:51 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:<いくつよりとしよりならむカンナ燃ゆ>久保田万太郎。作者、…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2009年9月14日

 <いくつよりとしよりならむカンナ燃ゆ>久保田万太郎。作者、七十歳ころの句かと推測するが、小澤實著『万太郎の一句』は、自分はまだ、の思いを読み取る▼句の前書きには<「としよりの日」といふものあるよし>と。戦後間もなく、一部自治体が定めたもので、それが引き継がれて一九六三年の老人福祉法制定を受け「老人の日」に。六六年に「敬老の日」となった。現在は九月第三月曜日だが、今も「老人の日」はあり、それはやはり、あす十五日▼厚労省の発表によれば、同日時点で百歳になる人を、今月一日現在で集計したところ初めて四万人を超えた。六三年当時はわずか百五十三人だから、大変な長寿化である。平均寿命もここ三年、男女とも過去最高を更新中だ▼社会構造のひずみを指して高齢化社会というが、それは若い人の数の少なさが問題で、長命な人が増えること自体は無論、慶賀すべきこと。もっとも、寿命はただ延びればよいというものでもない▼日本では、齢(よわい)を重ねた人格的な成熟を「枯れる」といい、また「枯淡」とは俗気のない淡い趣。だが、それには、人生の秋らしい心のゆとりこそ必要だ。暮らしや先行きへの不安、孤立に苛(さいな)まれていては、ギスギスした老境にならざるを得ない▼とても「枯淡の境地」とは…。この国では、このごろ、そういうお年寄りが増えていないだろうか。

 

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