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初秋の一日、上州と越後を結ぶ三国街道の山道を歩いた。いわし雲が浮かんで夏はすでに遠いが、秋が色を整えるには少し間がある。群馬と新潟県境の三国峠に着くと、昔ここを越えた人々の名を刻む碑があった▼越後側は豪雪地だけに、ゆかりの名も見える。「雪国」の川端康成は、国境のトンネルを列車で抜けただけでなく、歩いて峠越えもしたようだ。鈴木牧之(ぼくし)は江戸時代に「北越雪譜」を著した越後人である。すべてを閉ざす雪への恨み節のような、その一節は印象深い▼「今年もまた、この雪の中にある事かと雪を悲しむは辺郷の寒国に生まれたる不幸というべし」。初雪を見ての感慨だ。暖地と違って雪が風流の対象ではないことを、くどいほどに説いている▼そんな牧之が聞いたら羨(うらや)むような話題が、先日の小紙にあった。モスクワの市長が、雪雲を消して降雪を減らす計画を打ち出したそうだ。除雪費を減らすためといい、人工降雨の技術を応用するらしい。雪雲が来る前に、郊外で降らせてしまうのだという▼雨や雪を人工的に降らせる研究は、日本でも戦後すぐに始まった。「天の意」を人が操る願望は強いとみえ、今では約40カ国が取り組んでいる。将来、より有用な技術になる可能性があるそうだ▼市長の皮算用では除雪費は3分の1に減るらしい。結構なことだが、天の摂理を乱さないかと、素人にはいささかの心配もある。技術のもたらす果実も、収穫の仕方を誤ると痛い目に遭いかねない。北国の福音になればいいが、などと、峠を下りながら考えた。