明治の大作家幸田露伴に「憤ることの価値」という少年向けの短文がある。水は激して石を漂わせ、火は激して金を溶かす。憤りなくしてどうして功を成し歴史に名を残すことができよう。「憤るべし憤るべし」。檄文(げきぶん)の趣さえもある。
▼日本の歴史にしかと刻まれることになった選挙結果は、勝者への熱狂というより敗者への憤りがもたらしたのだろう。有権者の選択が功を成すかどうか、それはまだ分からない。場合によればまた憤る必要もあろう。その時のためしっかりしてくれないと困る肝心の自民党が、どうも漂い溶け始めたように見える。
▼麻生総裁の後任を28日に選ぶそうだが、その前に特別国会がある。首相指名選挙で麻生さんに一票を投じるかどうか、すったもんだの体だ。まだ総裁なのだから、いや辞めるのに名は書けぬ、さてどうしようとは。言うまでもなくもう与党でなくなる。一刻も早い再生という大事の前で、小事にすぎぬとも思える。
▼露伴は小人(しょうじん)の些事(さじ)への怒りなど半文銭の価値もないと切り捨て、一方真の憤りを「恥辱(はじ)を知り、自ら憤り、自ら奮い、自ら助け、自ら責むる」ことだと説いた。これこそ「大丈夫の憤り」なのだという。ちなみに、大丈夫とは立派な人物を指す漢語だ。大丈夫抜きに小人が怒り合っていても、自民党の未来は暗い。