相手の立場になって考えましょう。子どものころから学校でそう教わってきたが、簡単なことではない。まして想像できない大災害の真っただ中なら▼阪神大震災が起きた一九九五年一月十七日の夕方、東京からようやく兵庫県西宮市の甲子園にたどりつき、自転車で被害が甚大だった地域に取材に向かった。あちこちで火災が発生。がれきの中に多くの人が生き埋めになっていた▼アスファルトがめくれ上がった悪路を走って着いた神戸市東灘区で、阪神電鉄沿いから北に坂を上って行くと、意外な光景が目に入った。南に一キロほど離れた地域で火の手が上がっている最中に、犬を連れて散歩している人が何人もいたのだ▼被害が比較的軽微だった高級住宅街の住人が、犬の散歩という日常生活を欠かさなかったのだろう。関西では大地震は起こらないという俗説もあり、近隣で何が起きているか想像できなかったのだと思う。震災の取材で忘れられない光景だった▼「防災の日」のきのう、各自治体は訓練を実施し、来るべき日への備えを確認した。大地震がいつ、どこを襲うのかは予測はできない。住宅密集地で直下型地震が起きれば、被害は甚大になる▼震災は、独り暮らしの高齢者など老朽化した住宅に住まざるを得ない経済弱者に真っ先に襲いかかる。国の「備え」は、訓練を実施することだけではないはずだ。