衆院選はきょう投開票される。政権交代か否かが焦点。どの政党が信頼に足るのか。政策はどうか。さあ私たちの出番だ。魂を込め一票を投じよう。
歴史的決戦にふさわしい熱いフィナーレは、東京・JR池袋駅東口と西口で行われた。麻生太郎首相が自公政権継続をアピールすれば、鳩山由紀夫民主党代表は明日の日本を変えるよう訴えた。
衆院選は丸四年ぶり。小泉自民党が「郵政民営化」を単一争点に、刺客擁立などで話題をさらった劇場型選挙以来だ。今回、争点は野党・民主党が掲げた「政権交代」の四文字に変わった。
事実上の自民信任選挙から、与野党が入れ替わる可能性がある初の政権選択選挙が実現した形だ。
◆劇場型上回る関心
前回のような派手な劇場的要素はないが、有権者の関心はいつになく高い。行列ができることも珍しくなかった、期日前投票数の多さがそれを物語っている。
各メディアの世論調査や情勢分析では、公示前から民主優位が伝えられ、選挙戦に入ってもこうした流れは続いた。
世論調査の数字上は、前回自民に雪崩を打った無党派層の多くが民主に流れているようである。
「戦っているのは民主党とではなく、政権交代という意味の分からない言葉とだ」−。自民側からはこんな戸惑いの声も漏れた。
実際、自民候補の街頭演説や支持組織回りでの反応はそれほど悪くなかったという。逆に、聴衆が数えるほどしかいない中、民主候補が演説を続ける光景を何度も目にした。
民主は鳩山代表が気の緩みを戒めるメールを全候補に送付。自民は閣僚らが地元に張り付き、巻き返しを図った。攻守ところを変えた大詰めの光景だった。
◆気迫欠く言葉の力
政権交代可能な政治システム構築に向け、衆院小選挙区比例代表並立制の導入が決まったのは一九九四年のことだ。
政権党が失政を犯せば、ライバル党が取って代わる。民主主義社会の健全な姿だが、五五年体制下では、この当たり前のことを有権者は体感できなかった。
あれから十五年。自民の麻生首相か、民主の鳩山代表か。投票で首相を実質的に決めるのは初めてだが、日本政治史を刻む選挙にふさわしい論争はできたのか。
麻生首相は景気回復へ大規模な財政出動の方針を堅持し、経済成長の実現後、パイを家計に配分するとした。鳩山代表はまずは子ども手当などで家計を直接支援し内需拡大につなげると強調した。手法の違いは明確になった。
しかし、マニフェスト(政権公約)に「あれもこれも」と、個別政策で大盤振る舞いが目立つ一方、有権者に負担を求める「苦い薬」に言及するのは及び腰だった印象が否めない。
歓心を得るためのサービス合戦にすぎないのかどうか。実現性はあるのか。各党のマニフェストをもう一度点検して臨みたい。
少子高齢化、地域格差拡大、地球温暖化…。日本崩壊にもつながりかねない難題への対処は待ったなしだ。安心して暮らせる未来像を提示し、理解と協力を求めるのが政治の責務である。
なのにトップ自らの気迫あふれる言葉が聞こえてこなかったのはどうしたことか。政権選択選挙で党首力がかすんでは困る。
自民・民主決戦に押されがちの公明、共産、社民、国民新などは生き残りをかけて比例代表に重点を置き、多様な民意の受け皿役になろうと奔走した。
ネットやちらしなどで他党の政策をやり玉にあげるネガティブキャンペーンが目立ったのも、今回の特徴だ。しかし、そんな戦術に有権者は冷ややかだった。
政治の側への苦言は、これぐらいにしたい。十分とは言い切れない判断材料ではあるが、いよいよ選択のときだ。
自公に引き続き政権運営を任せるにしても、新たに民主に政権を託すにしても、選択の責任は私たちが負わなければいけないということを−。
過去にも増して、重い一票だ。覚悟を決めて、歴史的投票に臨まなければならない。
◆若者よ投票で声を
特に投票率の低い二十代には投票所へ足を運んでもらいたい。前回は七十代以上の半数にとどまった。八百兆円を超える莫大(ばくだい)な国の借金のツケを払わされるのは、あなたたちであることを忘れてはいけない。
投票で声を上げよう。積極的な参加意識が支え合い社会の実感にもつながるだろう。
平成生まれの人が選挙権を得て初の総選挙である。「どうせ変わるはずがない」はご法度だ。
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