「官僚内閣制」とも揶揄(やゆ)される霞が関優位の行政システムが行き詰まっている。「政と官」の関係見直しは時の流れだ。各党は政治主導の旗を掲げるが、新政権に問われるのは即実践への覚悟だ。
戦後日本を世界第二の経済大国にまで押し上げたのは、官僚の使命感と優秀な頭脳なしには語れない。だが、気がつけば、地元への利益誘導を重視する政治家の役人依存が強まる一方、官僚も「国益より省益」に陥りがちになったのは事実だ。
近年、そのひずみが一気に噴き出している。管理のずさんさにあきれ返る「消えた年金」問題や、私物化といわれても仕方ない道路関連予算の無駄遣いなどは、世間の不信や怒りを募らせた。「役人天国」の代名詞である天下りや渡りも思うがままだった。
今回、政と官の関係のあり方が選挙戦の争点に位置づけられるのは好ましいことだ。
自民党は、政治主導に向け首相を補佐する「国家戦略スタッフ」の配置や、縦割り行政の脱却へ国家公務員幹部人事の一元管理などを打ち出した。ただ、麻生太郎首相は一連の役人の不祥事について多くを語っていない。官僚主導を許した政治の側の反省と総括なくしては、公約に信ぴょう性は生まれようもない。
「脱・官僚主導」を明確にアピールしたのが民主党だ。鳩山由紀夫代表らは、一九九三年に発足した細川政権時の苦い体験を教訓にしている。自民から非自民政権に看板は替わったが「官僚政権」の本質は変わっていなかった、と。
公約の具体策は、政府に国会議員約百人を送り政府・与党の一元化を図る、予算の骨格を策定する首相直属の国家戦略局を設置する、官僚主導の象徴である事務次官会議を廃止する、などだ。
こうした政権構想によって、官僚丸投げの政治から決別するとしているが、既得権益に固執する霞が関もしたたかである。民主政権誕生も想定して、対応策を練っているともいう。
司令塔となる国家戦略局についても、役人がコントロールするのなら、官僚支配の呪縛(じゅばく)から逃れられない。具体的な設計図を詰めて、有権者の納得を得なければならない。
政と官の関係でいえば、外務省が「ない」と言い張る日米間の核持ち込み密約の扱いも、新政権の課題になろう。官僚が長年握ってきた実権や情報を、一つ一つ国民の手に取り戻すときだ。
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