カロリー換算の食料自給率が、41%に増えた。国際相場の気まぐれが主な要因だ。各政党とも自給率向上を「農政公約」の基本に据えて衆院選を戦っている。が、「農政」だけの問題だろうか。
日本の食料自給率は二〇〇六年度、十三年ぶりに40%を割り込み“39%ショック”と騒がれた。〇七年度は、米国の穀物燃料ブームに端を発した穀物、特に小麦の高騰で、わずかにコメ回帰が進み、40%を回復したと、安堵(あんど)の吐息が漏れた。厳密に言えば〇六年度は39・3%、〇七年度は39・8%と、ごくわずかな改善だった。
そして〇八年度は40・9%で、一九九七年度以来十一年ぶりに大台に戻した。まるで短距離走を見るような、コンマ以下の世界での一喜一憂ぶりである。
昨年度の上昇も、好天でサトウキビの生産量が増えたのと、国際価格の高騰で、チーズや原料大豆の輸入が一時的に減ったのが要因で、自給率向上のかぎになるコメの消費は、前年度より大きく落ち込んだ。輸入依存の需給環境が明らかに変わったわけではない。
今度の衆院選でも、各党は一致して食料自給率の向上をマニフェスト(政権公約)に掲げている。50〜60%という高い数字を掲げる党もある。だが、目標達成への具体的な道筋が、十分示されているとは言い難い。補助金や直接支払いによる農家の所得補償政策は、輸入物との価格競争にあえぐ農家の収入を一時的に補てんする、対症療法の域を出ていない。
生産基盤の安定が仮に実現したとして、その中から生み出される国産品をどうやって消費に結び付けるのか、自給率激減の原因とされる極端に欧米化した食生活に、いかに対応していくか、消費者側からの視点が欠けている。「農業政策」だけが語られ、「食料政策」が見えてこない。
「安心でおいしいが、高い」とされる国産を消費者に選んでもらうには、雇用問題なども含めた国民生活全般の安定も欠かせない。
気候変動、人口増、食生活の変化、エネルギー問題まで絡んで、世界的な食料不足は、じわじわと進んでいる。安全でより豊かな食生活をどうやって維持していくか、食料自給率は、持続可能性の指標でもあるはずだ。
目先の数字の増減だけにとらわれず、この国の農業だけでなく、食生活はどうなるか、どうしていくか、41%という数字をもとに、国民レベルで考えたい。
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