中学校のベテランの先生がテストの答案に○×をつけて生徒に返しながら、得意げに話しかけた。「僕は採点には自信がある。教師になって以来、ミスして君たちに何か言われたのは一度だけなんだ」。しばしのあと生徒から一言ある。
▼「×のはずが○だったら誰も言ってきませんから」。40年前に教室で体験した「先生やりこめられる」の図である。もっとも、仏文学者の辰野隆(ゆたか)は旧制中学で「丙」専門だった作文に突如「甲」がついて驚き、「間違いではないか」とわざわざ教師に確かめた。古今の中学生、こましゃくれていたばかりではない。
▼ことしは学校の夏休みと衆院解散から総選挙までの40日間が重なった。その夏休み最後の日曜に「採点」の日を迎える。30日まで各党や候補者の答案を吟味するもよし。必要なら期日前投票もある。要は、テストを採点するのが先生の仕事であるように、我々も有権者の役割を果たさねばならぬということだろう。
▼辰野は幸い「甲は間違いでない」というお墨付きをもらった。うれしかったに違いない。50年近くもたって、作文の題は「志望」だったと随想で触れている。「甲」1つが人生になにがしかをもたらす。まして今回の選挙が日本にもたらす「何か」の大きさは言わずもがな。そう思えばミスなどしまいと力が入る。