希望を感じさせる快走だった。陸上・男子100メートル、200メートルでボルト選手が相次いで出した驚異的な世界新記録。それは「壁は必ず乗り越えられる」とこの世の中を励ましてもいるようだ。
100メートルは9秒58。200メートルでは19秒19。世界陸上選手権(ベルリン)でウサイン・ボルト選手がたたき出したタイムは、まさしく異次元のものだった。自身が持っていた双方の世界記録を、ともに0秒11も縮めたのである。北京五輪で9秒69と19秒30をマークして世界を驚かせてから一年。このジャマイカの若者は、最速の歴史をまたしても軽々と書き換えてみせた。
男子100メートルの記録が9秒7台に入ったのは十年前。百分の一秒を縮めるのさえ難しいスプリントの世界で、ボルト選手はたった一年の間に9秒6台、さらに9秒5台へと前人未到の地を切り開いてしまった。200メートルでも、当分は破れないとみられたマイケル・ジョンソン選手(米国)の19秒32をあっさり上回り、今回また大きく更新している。これほど短期間に、ここまで記録が伸びるとは誰も思わなかったのではないか。
二十三歳になったばかり。昨シーズン、一気に頂点へと躍り出るまではまだまだ粗削りな若手だった。それが、たちまちこの高みに駆け上ったのだ。圧倒的な加速の迫力は、さらなる上昇も予感させる。人類はどこまで速くなれるのか、その限界はもはや見えなくなったと言ってもいい。
この快挙は、人間の持つ可能性をあらためて示したものとも言えるのではないか。どの世界でも、どの分野でも、隠れた力はあちこちに存在していて、きっかけさえあればすぐさま新たな一ページを開くかもしれないということなのである。高くて厚い壁を軽やかに乗り越える走りからは、分野を超えた鮮烈なメッセージが伝わってくるようだ。
今回、100メートルで2着となったタイソン・ゲイ選手(米国)も自己記録を0秒06縮めた。これも素晴らしい収穫といえる。一人が壁を破ってみせれば、そのインパクトが全体のレベルをも大きく引き上げるのである。
どんな壁も乗り越えられる。可能性を信じていれば、きっと何かが起きる。皆がそう思えば、この閉塞(へいそく)感に覆われた世の中もしだいに変わっていくかもしれない。若き韋駄天(いだてん)の躍動を励ましとして、それぞれがそれぞれの可能性に挑んでいきたいものだ。
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