HTTP/1.1 200 OK Date: Wed, 19 Aug 2009 21:18:15 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:金大中氏死去 太陽政策は功罪半ば:社説・コラム(TOKYO Web)
東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 社説一覧 > 記事

ここから本文

【社説】

金大中氏死去 太陽政策は功罪半ば

2009年8月19日

 韓国の金大中元大統領が死去した。民主化と人権確立にささげた生涯だった。北朝鮮との融和を目指す「太陽政策」を展開したが、北朝鮮は核実験を強行し、次世代に課題も残した。

 獄中、自宅軟禁、亡命は計十五年余に及んだ。内乱陰謀罪で死刑判決を受けたが、刑の執行は停止された。何度も死線を越えて復権したのは、日本など海外で根強い支援があったことも一因だ。

 理想を掲げる哲学者の心と、権謀術数にたけた冷徹な政治家の資質を併せ持った人物だった。大変な読書家、勉強家でもあった。

 大統領時代の象徴が太陽政策だ。北朝鮮に援助をして軍拡路線を放棄させ改革、開放を促そうとした。金正日総書記との初の南北首脳会談を実現し、二〇〇〇年にノーベル平和賞を受賞した。

 敵対してきた南と北が和解し、共存に向けた工程表を作り、米国や日本、中国が後押しする。これが金大中氏の描いた構想だった。

 北朝鮮は数年間はミサイル発射を自制し核開発も凍結した。南北の経済、人的交流も飛躍的に拡大した。韓国国民が北朝鮮の実情を知る機会も増えた。太陽政策は当時としては画期的な成果を挙げたと評価できる。

 ところが北朝鮮は核開発をあきらめなかった。体制維持のためには核とミサイルで武装する「先軍国家」をつくるしかないと判断したためだ。

 支援のかなりの部分が大量破壊兵器開発に流用されたのではないか−。現在の李明博政権はこう見なして、一方的な援助政策を修正する方向に大きくカジを切った。

 北朝鮮の強硬姿勢を変えられなかったという点で、太陽政策は功罪半ばだったといわざるを得ない。太陽政策の成果と限界を十分に検証して、北朝鮮の核開発を断念させる新たな開放誘導策を構築できないか。韓国だけでなく、日本や米国など周辺国も取り組むべき重い課題である。

 日本人には最もよく知られた韓国人の一人だった。

 一九七三年には滞在先の東京都内のホテルから、韓国の情報機関によって拉致されソウルまで連行される「金大中事件」が起きた。

 大統領として日韓関係改善に努め、日本の映画やアニメなど大衆文化開放に踏み切った。韓国人の対日感情が好転し、逆に韓国の文化も日本に発信されるようになった。「韓流」ブームの隠れた生みの親だったともいえよう。

 

この記事を印刷する