HTTP/1.1 200 OK Connection: close Date: Tue, 18 Aug 2009 22:18:47 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Age: 0 東京新聞:週のはじめに考える 人間には自治の本能:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

週のはじめに考える 人間には自治の本能

2009年8月16日

 旧盆の帰省はたのしいものですが、故郷の衰退にさびしさを抱く人もいたかもしれません。地方自治に欠けてきたものは何か、考え直してみます。

 すこし歴史を振り返ってみましょう。憲法でいうと、戦後、戦争放棄とともに旧憲法にはなかった新たなものとして加わったのが地方自治でした。法律から憲法へ格上げされたわけですが、中央集権時代の明治・大正の政治家でもこんなふうに言う人がいました。

◆医師後藤新平の発想

 「人間には自治の本能がある」

 旧満鉄初代総裁、内相、外相、東京市長などをつとめた後藤新平です。岩手・水沢藩の医家に生まれ、明治に入り二十代で愛知県病院長兼愛知医学校長(今の名古屋大学医学部と付属病院)に就任。自由党党首板垣退助が岐阜で襲われた際、急ぎ往診して一躍有名になりました。「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだとされるあの事件です。

 「自治の本能がある」は東京市長になるころ出した「自治生活の新精神」(一九一九年)と題する小冊子の文の冒頭に掲げられました。理由は医師らしく生物的自衛と説きます。つまり生物は牙や甲羅で身を守るけれど、人間は集団で助け合ってこそ自分たちを守ることができる、それが自治なのだというわけです(藤原書店「後藤新平とは何か・自治」所収)。

 単純な比喩(ひゆ)に聞こえますが、彼が言いたいのは自治は洋の東西を問わぬ人類共通の観念ということなのでしょう。明治政府が参考にした欧州の自治、セルフ・ガバメントはもちろん知っていて、それを日本の村の助け合い、結いに比してもいます。大礼服の高官も印半纏(しるしばんてん)の庶民も等しく談笑できる自治会館が欲しいと述べている。今で言うなら公民館でしょうか。

 自治でもうひとつ大切なのは自治体と国家との関係です。

◆知事会は誰のためか

 先月、三重県で開催の全国知事会の取材から帰ってきた同僚がある光景を話しました。

 今の消費税の1%分に当たる地方消費税率上げをめぐる議論で、会場の空気は地方財政の破綻(はたん)は目に見えている、消費税そのものが上がるかもしれないが上げる方向でまとめるしかない、という雰囲気だったそうです。

 各知事に意見が求められ、新潟県の泉田裕彦知事が「やるべきことをやったうえでの増税議論でないと理解は得られない」と述べ、大阪府の橋下徹知事も異を唱えました。これは一体誰のためなのかということです。答えはもちろん住民のためですが、多くの知事はまず県のためを考えたのではないでしょうか。後藤に言わせるなら、民意の反映不十分と一喝するところでしょう。

 地方自治について欧米には「民主主義の学校である」という格言があります。

 町や村など最小の社会共同体で首長や議員を選び、住民は監視する。むろん失敗もあるので首長、議員の解職請求もできる。直接民主制の一形態で、利点の第一は住民が学び、うんと賢くなること。だから学校というわけです。

 市民税10%カットを公約に当選した名古屋市の河村たかし市長が答弁した一般質問を傍聴したことがありました。名古屋市議会は独特の円形議場で傍聴席はそれを見下ろします。入り口でもらった傍聴券番号は百十一番。傍聴席はほぼ埋まっていました。議場静粛の規則を破って傍聴席から拍手も批判も何度か飛び出しました。でもその意気込みは好ましく、頼もしく見えました。

 失礼な言い方になりますが、民主主義の学校であり、自治の本能の表れだとも思いました。前者は自治のシステムを言い、後者は自治の参加意識を言うのであり、この二つの目指すところは同じなのです。市長も議会も役所もわれわれ住民がしっかり監視しようではありませんか。

 今の地方分権への動きは、中央政府お任せ主義でなく、外交や軍事、金融などを除き、できるだけ広い範囲で自治のことは収入も支出も自治に任せてくれということです。その分、もちろん自治体、住民の責任も重くなります。

◆今考えたい自治の三訣

 知られるように後藤は(1)人の世話にならぬよう(2)人の世話をするよう(3)そして報いを求めぬよう、を「自治の三訣(けつ)」として唱え続けました。ここで戦前の道徳論を説く気など毛頭ありませんが、弱い隣人を助け、健全堅固で永続的な自治を築くには、住民にこの三訣は欠かせないと思います。自治はそれぞれが人間の原点に近づき、本来の暮らしを取り戻す有力な道です。そういう希望を言葉にすれば「人間には自治の本能がある」となるのかもしれませんし、そうあってほしいと思うのです。

 

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