衆院総選挙がきょう公示される。政権交代か政権継続か。間違いなく政治史に残る選択の時である。時代は、政党、そして有権者の覚悟を問うている。
メディアによる意識調査結果はいずれも、今回総選挙への世論の極めて高い関心を示している。
目を見張るのは、政権が交代することへの抵抗感のなさだ。
野党・民主党を中心とする政権を期待する声が、ここ半世紀の政権の大半を担ってきた自民党を大きくしのぎ続けている。
自民、公明の与党が衆院三分の二超の議席を得た前回総選挙からほぼ四年、有権者は自公政治に反旗を翻しているように映る。
解散宣言から50日の損得
麻生太郎首相や自民が無為に時を過ごしてきたわけではない。
小泉純一郎氏の後を、安倍晋三氏、福田康夫氏、そして麻生氏とつないできた。逆風の中、ひたすら衆院解散を先送りして。
が、状況好転を待って臨んだ作戦は今のところ裏目に出ている。
政権交代が現実味を帯びるにつれて、メディアの政治報道では民主の政権構想や政策に多くのスペースが割かれてきた。
公示前日にあった日本記者クラブ主催の主要政党の党首討論会でも、民主の鳩山由紀夫代表が“主役”となった。自民総裁の首相は脇役感がぬぐえない。
その日政府が公表した今年四〜六月期の国内総生産(GDP)は一年三カ月ぶりのプラス成長を記録した。衆院解散を首相が宣言して五十日近く、異様に長くとった投票日までの期間で、首相や与党がもくろんだ「景気回復最優先」の最大実績がこれである。
だが、国民には実感がない。首相の言う「安心社会」「日本を守る責任力」が素直に受け入れられるかどうか、怪しい。
長らく自民政権を支えた保守の地盤は、ほつれようが著しい。
ここでぶれたら敗北必至
長期にわたった事実上の選挙戦は攻める民主の側にもプラスとマイナス両面の効果をもたらした。
政権公約と訳されるマニフェストがこれほど焦点になるのも、歴史的選挙と呼ぶにふさわしい。
その公約の不備を指摘されて民主は修正を重ねてきた。正式なマニフェスト「完成版」へ時間が十分に味方した。半面、あいまい批判にも時間を与えた。ここで再びの手直しを迫られ、ぶれるようでは、政権は望むべくもない。
党首討論会で首相は民主の公約を「戦略なきバラマキ」と批判した。巨額予算を必要とする、子ども手当や高速道路無料化施策には専門家らも疑念を呈する。財源論は安全保障政策と並んで、やはり民主のアキレスけんである。
予算配分を「家計の実入り増」に重点を置くか、首相の言うように自民の伝統的な「経済のパイを大きくする」手法をとるか。
わかりやすい選択肢だ。同様に行き詰まりを見せる資本主義先進各国の注目するところでもある。
結党半世紀を超す自民の政治がいよいよ俎上(そじょう)に載っている。
首相は「行き過ぎた市場原理主義と決別する」と繰り返す。野党陣営が「格差と不公正を生んだ元凶」と攻め立てる、構造改革路線の否定なのかどうか。
官僚機構にリードされる明治以来の「役人天国」を変えようと、野党はこぞって国民主役の政治を訴える。首相や自民、公明はこれにどう答えるか。どう改めるか。
きちんとした答えが用意できないなら、こちらも政権存続はおぼつかない。
ともに選挙戦本番での十分な説明と説得力という、政党本来の力量が勝敗を分ける。
自民、民主の二大政党のはざまで、自民とこの十年、歩調をともにしてきた公明党、そして小選挙区制のゆえに苦戦を余儀なくされた共産、社民両党は、比例代表選に重点を置く。
国民新、社民両党は民主との連立政権を見込み、共産と渡辺喜美氏らの新党は自民とも民主とも一線を画す。が、確かな希望を語れないと、生き残りは難しい。
小選挙区制の衆院選はこれで五回目を数える。政権交代を可能にするとの触れ込みが、言葉だけで終わらない時代が来た。
だからこそ、政権を視野にする民主と、長期政権の総括を強いられる自民に、覚悟を促す。
民主には政権党たる信頼に堪える覚悟、自民には下野にも耐える覚悟である。互いに相手をこき下ろすだけのネガティブキャンペーンに終始して、一億有権者を政治不信にさせるのはご法度だ。
選択する国民も責任負う
その有権者は四年前、劇場型選挙に踊った。もたらされた結果に政権批判で憂さ晴らしして済むゆとりは、もう、この国にない。
結果責任は国民が負わねばならない。政権交代があろうがなかろうが、気がつけば悪くなっていたでは、後世に申し訳が立たない。
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