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社説2 韓国変えた金大中氏を悼む(8/19)

 韓国の金大中元大統領が亡くなった。真っ先に思い浮かぶのは、東京都心のホテルから拉致された衝撃的な事件と、韓国と北朝鮮による初の南北首脳会談だ。金大中氏は二つの歴史的な出来事の当事者だった。

 投獄、暗殺未遂、死刑判決――。民主化運動の闘士として多くの苦難を乗り越え、大統領に上り詰めた。韓国で初のノーベル平和賞受賞者でもある。そして何よりも、独裁国家から民主的な国へと韓国を変えた政治家として現代史に名を残す。

 1973年8月、金大中氏が東京のホテルで拉致された事件は、拉致を仕組んだ韓国中央情報部(KCIA)と朴正熙・軍事政権の悪名を高めた。韓国は恐ろしい国という印象が焼き付いた事件でもある。

 事件の真相は日韓政府の政治決着で闇に葬られたが、脚光を浴びた金大中氏は民主化のリーダーとして国際的な知名度を高めた。80年の民主化運動「光州事件」にかかわったとして死刑判決を受けたときも、国際批判の高まりが同氏を救った。

 それだけに97年大統領選に勝ち、翌年2月に「国民の政府」と名付けた政権が発足したことは、韓国の民主化定着を象徴する節目となった。

 大統領就任は金融経済危機のさなかだった。支援を仰いだ国際通貨基金(IMF)の管理下で、財閥の改革や金融機関改革を断行、政界と財閥の癒着解消に努めた。不透明な癒着構造は海外の不信を呼び、危機を招く一因となっていたからだ。

 ノーベル賞受賞のきっかけとなった2000年6月の金正日総書記との初の南北首脳会談では、朝鮮半島の緊張を緩和し、南北統一の実現に主導的役割を担う意思を示した。

 退任後は北朝鮮への不正資金疑惑も絡み、金大中氏が進めた包容(太陽)政策への評価は割れる。歴代大統領を輩出した慶尚道ではなく、貧しかった全羅道の出身で、地元対策を優先した政権運営が地域間対立を助長したとの批判も根強い。

 最近は歴代大統領の人気度調査で宿敵だった朴正熙氏に差をつけられていた。高度経済成長を軌道に乗せた独裁者の後じんを拝するのは皮肉だが、韓国では今、どんな政治家も国民が自由に批判できる。これも金大中氏の功績であろう。

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