今年もこの日が巡ってきた。きょうは64回目の終戦記念日である。あらためて先の大戦の犠牲者を悼むとともに、二度と戦争を繰り返さない国の在り方を考えたい。
戦争の体験者や遺族は、さらに高齢化している。過去を風化させない努力が一段と求められる。国や市民レベルでの取り組みが欠かせないが、メディアの果たすべき役割も重い。
本紙は今夏、「語る―幼き日の惨禍 終戦64年」と題した連載企画を掲載した。敵艦に体当たりする有人ロケット弾や満蒙(まんもう)開拓団、青少年義勇軍、学徒動員などに関係した人たちの証言から、常軌を逸した戦争の非人間性が浮かび上がった。歴史の教訓として、しっかりと心にとどめておきたい。
戦後の日本は不戦の誓いを憲法に記し、平和国家として歩みを重ねてきた。日米安全保障体制を基軸としながら、必要最小限の戦力で専守防衛を基本にしている。
さらに経済成長に特化することで焼け跡から驚異的な復興を遂げた。物質的に豊かな国となり、社会も成熟化している。
しかし、世界を見渡せば、平和と安定にはほど遠い状態が続いている。中東では戦火の火種がくすぶり続ける。東アジアでは北朝鮮の核開発問題で緊張感が高まる。
日本の近辺で、きな臭さが増す今こそ、冷静で理性的な対応が必要になる。現実はどうだろう。なし崩し的な動きが目立ちはしまいか。
例えば、首相官邸に設置された有識者による「安全保障と防衛力に関する懇談会」が先日まとめた報告書がその一つだ。来年度から5年間の防衛力整備の指針となる新「防衛計画の大綱」策定に向け、集団的自衛権行使を禁じる政府の憲法解釈変更などを求めた。
北朝鮮の長距離弾道ミサイルへの対処法として、米国に向かうミサイルの迎撃や、警戒に当たる米艦船の自衛隊艦船による防護を可能にすべきだとし、政府解釈の変更を促した。戦後日本の国防政策の根幹を変更しかねない内容である。
本来なら今回の衆院選で、重要なテーマにすべき問題だが、そうなる気配は感じられない。そもそも外交・安全保障分野は、雇用や年金など身近な生活対策の陰に隠れがちだ。
政治が周囲の空気に流されている感は否めない。どんな時にでも、本質的な平和構築論争を正面から交わすのが政治家の責務ではないか。