HTTP/1.0 200 OK Server: Apache Content-Length: 59761 Content-Type: text/html ETag: "15dd9d-1df0-79b87f80" Expires: Fri, 14 Aug 2009 22:21:05 GMT Cache-Control: max-age=0, no-cache Pragma: no-cache Date: Fri, 14 Aug 2009 22:21:05 GMT Connection: close 終戦の日 追悼めぐる論議を深めよ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)



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終戦の日 追悼めぐる論議を深めよ(8月15日付・読売社説)

 「くにのためいのちささげし ひとびとの ことをおもへば むねせまりくる」

 東京・千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑の碑に刻まれた昭和天皇のお歌である。

 今年も「終戦の日」を迎えた。千鳥ヶ淵の墓苑にほど近い日本武道館では、政府主催の全国戦没者追悼式が行われる。

 天皇、皇后両陛下と共に、例年、三権の長である衆参両院議長、首相、最高裁長官が列席する。日本国として最も厳粛な儀式である。とは言え、今回は衆院が解散されているため衆院議長は不在だ。

 今年は第2次大戦勃発(ぼっぱつ)から70周年の年でもある。1939年9月1日、ドイツのポーランド侵攻で始まった。直前の8月23日には独ソ不可侵条約が締結された。

 ソ連もポーランドに侵攻し、バルト3国を併合した。3国が独立を回復するのは、91年にソ連が崩壊する直前のことである。

 バルト3国の一つ、リトアニアで今夏開催された全欧安保協力機構(OSCE)の議会は、独ソ不可侵条約が締結された日を、「スターリニズムとナチズムの犠牲者追悼の日」とすることなどを求める宣言を採択した。

 このドイツとソ連に接近して外交上の失敗を繰り返したのが、当時の日本だった。

 日本陸軍は当初、ドイツと同盟を結び、ソ連をけん制しようと考えていた。その独ソによる不可侵条約の締結に驚いた平沼騏一郎内閣は「欧州の天地は複雑怪奇」との声明を出して総辞職した。

 その後、近衛文麿内閣は日独伊三国同盟と日ソ中立条約を締結した。松岡洋右外相は日独伊にソ連を加えた4か国の連携で、英米との力の均衡をはかり、日米関係を打開しようと考えていた。

 だが、独ソ戦が始まり構想は破綻(はたん)した。続く東条英機内閣は、米国との無謀な戦争に踏み切る。

 戦争末期、鈴木貫太郎内閣はソ連に終戦の仲介を依頼したが、ソ連は日ソ中立条約を破って旧満州(現中国東北部)に侵攻した。57万5000人の将兵がシベリアなどに抑留され、5万5000人が死亡したと推定されている。

 最近、ロシアの公文書館で抑留者の資料が大量に見つかった。ロシア側資料による死亡者の情報の裏付けが期待されている。

 こうした経緯からも、当時の日本の指導者たちは世界の情勢を見誤っていたのは明らかだろう。

 これからの日本を託す指導者を選ぶ総選挙の公示は、3日後に控えている。

 自民、民主両党が政権構想を示して競い合っているが、思い起こされるのは、麻生首相と民主党・鳩山代表の祖父たちのことだ。

 麻生首相の祖父、吉田茂は戦前駐英大使を務め、英米との連携を強く主張した。戦争末期には、近衛元首相らと連携して終戦工作に動き、憲兵隊に逮捕された。

 40日間拘束され、釈放されたあと、病に倒れ、神奈川県大磯の別宅で静養中に終戦を迎えた。

 鳩山代表の祖父、鳩山一郎は文相なども務めた政党政治家だったが、東条首相と対立して軽井沢の別荘で隠とん生活を送った。玉音放送も軽井沢で聞いた。

 別荘では、欧州統合の父とされるクーデンホーフ・カレルギーが「友愛革命」を説いた著書を愛読し、「自由と人生」と題して後に翻訳した。

 戦後は首相を務めた2人のかつての苦い経験から、麻生首相と鳩山代表は、どのような歴史の教訓をくみとるだろうか。

 麻生首相は就任後初めて「終戦の日」を迎えるが、靖国神社には参拝しないという。「国家のために尊い命をささげた人たち」を政争の具などにするのは間違っていると、理由を語った。

 靖国神社には、東条元首相や松岡元外相ら、14人の「A級戦犯」が合祀(ごうし)されている。

 自民党内には、靖国神社に合祀された「A級戦犯」の分祀や国立追悼施設の建設の主張もあるが、党の方針は示されていない。

 民主党の鳩山代表は、仮に首相になっても参拝せず、閣僚にも自粛を求めるとともに、国立追悼施設の設置に向けて取り組みを進める方針を示している。

 岡田幹事長も、追悼施設について、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を生かすことも含め有識者に議論してもらう考えを表明した。

 昭和天皇は、戦死者の魂を鎮めるという靖国神社の性格が「A級戦犯」の合祀で変わってしまうのではないかと懸念されていた。

 靖国神社は、いったん合祀した「A級戦犯」の分祀は、神道の教学上できないとしている。

 だが、神社側が分祀に応じない限り、選挙の結果がどうであれ、国立追悼施設建立に向けての議論は、勢いを増していくだろう。

 国のために尊い命を犠牲にした人々の追悼のあり方について、改めて国民的な議論を深め、結論を導き出す時期に来ているのではないだろうか。

2009年8月15日01時23分  読売新聞)
東京本社発行の最終版から掲載しています。
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