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天声人語

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2009年8月15日(土)付

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 人はだれも名前を持ち、どの死者にもその名で営まれた人生がある。おびただしい犠牲を出したシベリア抑留から生還した詩人の石原吉郎は、「死においてただ員数であるとき、それは絶望そのものだ」と書き残した▼「人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなくてはならない」と述べ、大量殺戮(さつりく)を「数の恐怖」としてのみとらえることは許されない、と記した。酷寒と重労働のソ連の強制収容所で、名もない無残な死を見た者の、怒りと鎮魂の筆だったに違いない▼同じ思いを、新潟県に住む元抑留者の村山常雄さん(83)は行動に移した。死亡した日本人のうち4万6300人分の名前を、11年かけて調べ、まとめた。すべてを載せて一昨年に自費出版した『シベリアに逝きし人々を刻す』は重さが2キロにおよぶ。まさに「紙の碑(いしぶみ)」である▼様々な資料を突き合わせて、ロシア側資料の奇妙な名も丹念に特定していった。たとえば「コチ・カショニチ」は「幸地亀吉」と分かった。名前とともに生年や死亡日、埋葬地も明らかになっていった▼どれだけ意味のあることか、と思ったりもしたという。だが、やめられなかった。「無名にされることは存在の否定です。その恥辱で人間をおとしめたのが戦争であり、抑留でした」と村山さんは振り返る▼8月15日がまためぐってきた。幾多の命が「員数」として果てた戦争の罪深さをあらためて思う。遠ざかる過去だが、今日ぐらいは引き戻したい。生者にせよ死者にせよ、昭和を終わらせられない人が、まだ少なくはない。

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