HTTP/1.1 200 OK Date: Fri, 14 Aug 2009 02:18:24 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:「予科練」という言葉の響きに、特別な感情を抱く人は少なくな…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2009年8月14日

 「予科練」という言葉の響きに、特別な感情を抱く人は少なくないだろう。数多くの予科練出身者が戦時中の特攻作戦で若い命を散らした▼城山三郎さんの小説『一歩の距離』に、航空隊の司令が「必殺必中」の特攻兵器に搭乗する志願者を募る場面がある。生と死を隔てる一歩を自ら踏み出せるのか。葛藤(かっとう)する予科練の少年たちの心中が描かれた▼城山さん自身、戦争が長引けば本土決戦用の特攻隊に配属される予定だった。潜水服で海底に潜り、竹ざおに装着した爆雷を敵艦に突き上げて自爆する「人間機雷」で、訓練中に多くの殉職者が出たという▼フィリピンで捕虜になった大岡昇平は『レイテ戦記』で「想像を絶する精神的苦痛と動揺を乗り越えて目標に達した人間が、われわれの中にいたのである。これは当時の指導者の愚劣と腐敗とはなんの関係もないことである」と特攻死した若者たちを悼んだ▼意見には同意しつつ、漫画のような人間機雷まで考案して、死を強要した将官や参謀の退廃ぶりを見逃すことはできない▼特攻死した若者は陸海軍合わせて約五千八百人。一九四四年のレイテ沖海戦で、海軍の大西瀧治郎中将が航空特攻に踏み切る前から、人間魚雷「回天」などの計画は動いていた。割腹自殺した大西中将に特攻の全責任を押しつけ、口を閉ざした戦争指導者の一群が存在したことを忘れない。

 

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