見たり聞いたりする裁判から参加する裁判へ、日本の刑事司法は様変わりのスタートを切った。市民が犯罪や刑罰を主体的に考える社会にするためにも、検証と試行錯誤を重ねて定着させたい。
東京地裁の裁判員裁判第一号は順調に終わった。周到な準備と配慮が実り、「お上頼りの国民性」「裁判官主導になる」などの懸念はとりあえず杞憂(きゆう)に終わった。
法廷で裁判員は活発に質問、捜査段階の供述調書と法廷供述の矛盾を突く鋭い質問もあった。記者会見では「以前から知り合いのような感覚で意見交換できた」「難しかったが皆と成し遂げた」など、殺人という重大犯罪を裁いて責任を果たした充実感が語られた。
人生や犯罪、刑罰などについて深く考えた裁判員もいた。
懲役十五年の判決を「裁判官裁判より重い」と見る人が多い。しかし、隣人に突然ナイフを振るったことに対する市民の反応として重く受け止めるべきだろう。
課題も浮かんだ。第一に弁護人の負担である。視覚に訴える分かりやすい立証のためには、準備に労力と資力が必要だが、弁護人は組織に支えられた検察官に比べ圧倒的に不利である。
さらに今回のように被害者が参加すれば、弁護人は検察と被害者の双方を相手にしなければならない。弁護人をバックアップする仕組みをつくることが急務だ。
判決文では被告の情状面の主張を認めなかった事情がよく分からない。評議の秘密に属するのかもしれないが、重要な部分の事実認定だけに将来裁判員になる人にとっても参考になろう。
広く経験を共有し制度を定着させるためにも、守秘義務の内容を洗い直すことが必要だ。
当初、選ばれた裁判員は六人のうち五人までが女性だった。たまたま抽選でそうなっただけだが、裁判員は多様な人生、社会経験を有する人たちで構成されることが望ましい。そうなるために子育て世代の女性も参加できるよう、保育施設の準備も検討したい。
途中で一人が体調不良で交代した。裁判員の体調についての配慮、精神的ストレス、心理的負担感などに対する対応も万全を期さなければならない。
関係者が対等、公平に立証、主張し、多様な背景を持つ人々がそれについて真摯(しんし)な議論を尽くすことで、裁判は公正と評価される。その条件や基盤の整備にたゆまぬ検証と試行錯誤を重ねたい。
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