戦後、旧ソ連各地に日本軍将兵ら約五十六万人が強制抑留され、飢えと酷寒と重労働の三重苦の中で五万三千人が命を失った。戦後最大の悲劇といわれるシベリア抑留である▼日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍が満州(中国東北部)に進攻したのは六十四年前のきょう八月九日。この日に長崎に投下された原爆とともに、日本の指導者に戦争継続を断念させる最大要因になった▼鉄道建設や森林伐採などの過酷な労働中に亡くなった元兵士たち。その遺体の多くは、いまもまだ異国の丘の凍土に眠っている▼先月、モスクワのロシア国立軍事公文書館で、抑留された日本人に関する最大で七十六万人分の新しい資料の存在が確認された。全抑留者を網羅している可能性があり、全容解明が期待されるが、これまで発見できなかったことが不思議だ▼四年間の抑留経験がある村山常雄さん(83)は、兵士たちの名前を執念で掘り起こしてきた。七十歳で始めたパソコンに死者四万六千三百人の名を打ち込み、死亡日や収容所が分かる五十音順の名簿をインターネットで公開▼名簿は『シベリアに逝きし人々を刻す』と題して出版され、本年度の日本自費出版文化賞の大賞を受賞した。ぎっしりと名前が刻まれた千五十三ページ、重さ二キロの名簿。「一人一人名前を呼んで死者を弔うべきだ」という村山さんの思いが脈打っている。