きのうは「立秋」だった。もはや、これからの暑さは「秋暑し」、即(すなわ)ち残暑ということになる▼二十四節気の多くは現実の季節感とズレがあるが、少し早いかなという感じの「立夏」(今年は五月五日)などに比べ、「立秋」のそれはことに大きい気がする。就中(なかんずく)、今年は長梅雨のおかげで、「夏らしい夏」をほとんど経ないまま立ってしまった秋で、違和感は一入(ひとしお)である▼とにかくそういうわけで、暦の上では、六日の広島原爆忌は夏、あす九日の長崎原爆忌は秋ということになる。もちろん、人類が人類にもたらした最も恐るべき災禍を記憶する日であるという点、二つの忌日に何ら違いはない▼広島でも長崎でも、原爆はおびただしい数の命を奪った。それは無論だが、失われたのは「命」だけではないし、「奪った」だけでもない。身体的健康を損なうことで、生き延びた人々の「人生」までも「奪い続けている」▼原爆症認定訴訟をめぐり、政府が六日、敗訴している人も含めた全員救済の解決策を示して原告側と合意、全面解決に向けて動きだしたことは吉報ではある。もっとも、被爆から六十四年。遅すぎた感は否めない▼原爆は、生き延びた者の「心」をも苛(さいな)む。生き延びたこと自体が、痛みとなって。長崎で被爆した歌人の一首。<爆心地より千四百米の距離にゐて生きたれば生きしゆゑにくるしむ>竹山広