ウニは、外見はあんなだが、中身は美味だ。逆に、外見はおいしそうなのに毒を持つキノコも少なくない。何事も、外見だけで評価することは難しい▼さて、注目を集めた第一号の裁判員裁判は、どう評価すべきなのだろう。東京地裁での裁判は、四日目のきのう、隣人殺人事件で殺人罪に問われた被告に対し、検察側の求刑(懲役十六年)に近い懲役十五年の判決を言い渡し、幕を閉じた▼法律の専門家でない裁判員にも分かりやすい公判だった、というのが大方の評価のようである。「防御創」を「抵抗する時についた傷」と言い換えるなど、難しい用語の使用を避けたり、主張をまとめて大型モニターに映し出すなど、工夫が凝らされたようだ▼もっとも、それはいわば「外見」の話。そもそも、裁判員制度導入の最大の眼目は、判断に「一般市民の常識」を生かすことだったわけだが、それは実際、今回の判決にどう反映されたのか。その大事な「中身」が見えないのである▼裁判員と裁判官がどんな判決にするかを話し合う「評議」の内容が一切秘密にされているためだ。このまま二号、三号と続いても、市民参加が刑事裁判にどんな本質的変化をもたらしたかという、肝心要の点が評価できない▼裁判員を特定しない形で評議の概要を発表するなど方法はあろう。「外見」同様の工夫が、「中身」にも必要である。