原爆症訴訟をめぐり、政府と原告が全面解決に向けて合意した。原爆投下から六十四年、集団訴訟が始まって六年。遅すぎた救済とはいえ、被爆者の粘り強い訴えが政府を動かした。
解決策は六日、「広島原爆の日」の平和記念式典が開かれた広島市で麻生太郎首相が表明した。
従来、二審で勝訴した原告を原爆症と認定してきた方針を改め、一審の勝訴で認定するほか、敗訴した原告に対しては、議員立法で創設する救済のための「基金」から救済金を支払い、原告の要求を受け入れる。
原爆症の認定申請を却下された被爆者が処分の取り消しを求めた訴訟は二〇〇三年から全国で行われてきたが、これまでに被告の国が十九連敗している。
相次ぐ敗訴に〇七年八月、安倍晋三首相(当時)が「原爆症認定について専門家の判断のもとで見直す」と厚生労働省に指示した。
これを受けて厚労省は昨年からことしにかけて二回にわたり「審査方針」を改め、原爆症認定の要件である「放射線に起因する疾病」の種類を大幅に増やした。これに伴い認定数も増加した。
だが、三百人を超える原告のうち三分の一は一審敗訴や係争中などで認定されていない。原告の平均年齢は七十五歳に達しているだけに早期解決が急がれていた。
政府が政治判断で全員救済にかじを切ったのは、原告たちの境遇を無視できなくなったためとみられる。衆院選を目前に控え、麻生首相としては支持率回復につなげたい意図もあっただろう。
薬害C型肝炎訴訟でも昨年一月、福田康夫首相(当時)の政治判断で全面解決にこぎつけた。
C型肝炎訴訟では、同じ感染者に対し、感染時期で救済に差をつけていいのかどうかが争点だった。原爆症訴訟では、個々の疾病がどこまで放射線の影響によるものかだった。その認定審査があまりにも機械的に行われてきたことが被爆者の反発を招いた。
一連の訴訟では政府の認定基準を超えて司法が独自に認定するケースが目立った。政府は認定基準の細部にこだわり、認定範囲の拡大が追いつかなかった。
原爆症という科学的にも未解明な部分が少なくない特殊な病態に、あまりにも無頓着だったことを大いに反省する必要がある。
被爆して生き延びてもいかに健康がむしばまれるか。訴訟解決を機に政府は世界の先頭に立ち核兵器廃絶の訴えを強めるべきだ。
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