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「原爆の日」の広島で、原爆症の認定をめぐって大きな動きがあった。
被爆者団体の代表らと麻生首相が、集団訴訟の終結に向けた確認書に署名した。認定を求めて訴えている原告が裁判所で1度でも原爆症と判断されれば、政府はそれを受け入れる。敗訴した原告についても、議員立法でつくる基金を使って問題を解決する。そのような内容だ。
集団訴訟は6年余りも続き、高齢になった被爆者を苦しめてきた。政府が姿勢を改め、被爆者との間で、大枠で合意したのは前進だ。しかし、最終ゴールはまだまだ遠い。
一番の気がかりは、今回の確認書の直接の対象は、300人余の原告に限られることだ。原爆症認定の申請を出して審査を待つ被爆者だけでも8千人近い。その一部は、今後の審査で認定されないことも考えられる。この人たちにどう手を差しのべていくのか。
確認書もこの問題を考慮して、原告以外の被爆者が訴訟を起こさなくてもすむように政府と被爆者代表が定期的に話し合い、解決に努めるとした。
そこでカギとなるのは、認定基準の見直しだろう。今のままの基準では、認定されない人がさらに相次ぎ、不満が重ねられるだけだ。
原爆症をめぐっては、若いときの被爆が高齢者の体にどんな影響を与えるのかなど、医学的にも未解明な部分が少なくない。
集団訴訟で政府は「19連敗」してきた。昨春、基準を見直すと、1年間の認定者数は20倍以上へと急増したが、新しい基準で認定されなかった原告でさえも裁判では勝っている。認定基準が根本から問い直されていることは明らかだ。
今回の合意にもとづいて、被爆者代表も加わる専門家会議をつくり、認定制度の見直しを土台から議論してはどうだろうか。
これからつくることになる基金のあり方にも懸念が残る。
1億5千万円ほどの規模を政府は考えているというが、だれがどれくらい出すのかは不明だ。民間から寄付を募るとしても、公費なしに基金は安定しえないだろう。
基金の中身については、これから検討されるが、原告でない人たちにも目配りしたものにしてほしい。
今月の衆院選では、政権が交代する可能性がある。民主党はマニフェストで、被爆実態を反映した新しい認定制度を創設するとしている。
残された課題に取り組む作業は、どの党が政権をとっても空白や遅滞は許されない。
河村官房長官はきのう、被爆者の苦しみや原告の心情に配慮を示して「陳謝」した。幅広く被爆者が納得できる解決策づくりを急ぐべきだ。
「被告人を懲役15年に処する」
判決を読み上げたのはこれまで通り裁判長だったが、壇上には6人の裁判員も並んでいた。裁判員の参加した初の裁判が行われた東京地裁で、国民の代表が評議に加わった歴史的な判決が言い渡された。
プロの法律家だけによるこれまでの裁判で積み重ねられた「量刑相場」に比べ、「懲役15年」をどう評価すべきか。評議の内容は非公開で、軽々には判断できないが、市井の人々がみずからの感覚を生かして真剣に取り組んだ結果は重く受け止めるべきだろう。
判決後、裁判員全員と補充裁判員1人が記者会見に応じた。
「ひとつのことを成し遂げたという感じです」。感想を聞かれ、1人の裁判員はこう答えた。別の裁判員は「本当にいい経験をさせてもらいました」と語った。
裁判員経験者が自らの体験を社会に伝えることは、国民全体でその経験を共有することにつながるだけでなく、この制度を検証していくうえでも欠かせない。会見に応じることは義務ではないが、第1号の裁判員となった人々の積極的な姿勢はよい前例となる。
裁判長の訴訟指揮で疑問に感じたことはなかったか。評議で裁判官が結論を誘導したことはなかったか。検察官や弁護人の説明は素人にも理解できるように工夫されていたか。点検すべきことはたくさんある。
裁判員には重い守秘義務があるが、これから裁判員に選ばれる人々も積極的に体験を語ってほしい。
裁判員たちは法廷でも全員が被告らに質問し、存在感を示した。
警察官の調書は、被害者の長男が母親について「きつい性格」と話したと記していた。ところが法廷で長男はこの内容を否定した。裁判員の1人が調書にサインした経過を尋ねたところ、長男は「覚えていない」と答えた。調書の信用性に率直な疑問をぶつけたやりとりといえよう。
裁判員たちのこうした努力によって審理は生き生きしたものになった。それこそが、市民の司法参加の効用と言えるのではなかろうか。裁判長は審理の節目で休廷し、裁判員の疑問点を確認していたようだ。
評議の様子については外部からは知るよしもない。だが、補充裁判員は「意向が反映しやすいように準備されていた」と会見で語った。
これから全国の地裁では、裁判員裁判が次々と開かれる。
今回と違って被告が無罪を訴える事件や、死刑か無期懲役かの選択を迫られる、裁判員にとっては難しく、悩ましい裁判もあろう。整然と始まったことはよかった。しかし、制度の定着はこれからだ。試行錯誤を重ねつつ、制度を育てていきたい。