平和記念公園のアオギリが、八月の風に揺れています。核廃絶の若芽があなたのように育つよう、あの夏を忘れません。私たち自身の未来のために。
夕凪(ゆうなぎ)にたたずむ原爆ドームに、観光客がカメラを向けています。
その意味を知ってか知らずか、ピースサインをつくって一緒に写真に納まる人も、少なくはありません。比類なき歴史の証人は黙って背景になっています。
広島平和記念資料館でボランティアガイドを務める細川浩史さんには、世界遺産も巨大な墓標にしか映りません。丸い鉄骨の残骸(ざんがい)は、まるでいばらの冠です。
◆ごく普通の出来事だった
細川さんは十七歳の時、爆心地から約一・四キロのビル内で被爆しました。たまたま柱の陰にいたので助かりました。
妹の瑶子さんは十三歳。その春あこがれの広島第一県女に入学したばかり。爆心地から七百メートルの屋外で「建物疎開」の作業中に直撃を受け、その日のうちに亡くなりました。建物疎開というのは、空襲に備えて家屋を壊し、防火帯を造る作業です。十三、四歳の学徒に与えられた役割でした。
最愛の妹が生きた証しを残すため、細川さんは“語り部”になりました。哲学や感情を極力排し、本当は思い出したくもない「実体験」を次世代へ正しく伝えていくよう、自らに課しながら。
原爆忌を前に、平和記念資料館で開かれた「被爆証言講話会」。細川さんは「今から私が申し上げることは、当時の広島市民が体験したごく普通の出来事でした」と話を切り出しました。「ごく普通」という言葉を聞いて、背筋が寒くなりました。
瑶子さんの生と死を中心に約一時間。「これを自分のこととして、真剣に考えてみてください。自分自身のこととして−」という呼び掛けで、細川さんの「証言」は結ばれました。
◆核廃絶への転機がきた
オバマ米大統領は四月のプラハ演説で、唯一の核使用国としての道義的責任に言及し、核兵器のない世界を目指して具体的な方策をとるという、新しいメッセージを出しました。広島も長崎も、今度こそ核廃絶への転機が来たと、強い期待を寄せています。今日の「平和宣言」にも、大統領への支持を盛り込みます。
プラハ演説後の五月、北朝鮮の核実験強行を受け、「最後の核実験からの日数」を表示する、平和記念資料館ロビーの地球平和監視時計がリセットされました。九百六十日ぶりでした。
米国議会は、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准に強い拒否反応を示しています。米国とロシアはいまだ、合わせて約一万発もの核弾頭を持っています。いったい何度地上を焼き尽くせば気が済むのか、という数です。
「頭の上に三発目が落ちないと、正気には戻れないのでしょうか。だが、そうなってはもう遅い。私たちはそのことを、いやというほど知っています」と細川さん。
もしオバマ氏が広島を訪れて、もし対話がかなうとしたら、「ヒロシマを自分のこととして考えてくださいと、いつものように言うだけです」。
女優の山田昌さんは、仲間たちと「夏の会」を結成し、原爆詩と被爆体験記で構成する朗読劇の公演を二十四年間続けています。
今夏のタイトルは「夏の雲は忘れない」。敗戦時、十五歳だった山田さんは「責任を持って戦争を語れる年齢としては、ぎりぎりのとこかしら」と言いながら、腹の底から声を絞り出しています。
終演近く、原爆の犠牲になった子どもの写真を背景に投影し、女優たちはスクリーンを振り返りながら、彼らがのこした「最期の言葉」を読み上げます。毎回だれかを「あれが私の子」と決めて、本番に臨んでいます。
「“わが子”を思い続けていれば、戦争なんて起きません。起こそうなんて思いませんよ」と山田さん。細川さんの気持ちとぴったり重なります。
「兵隊さん、僕はまだ生きとるのですか」「お浄土はあるの、そこにはようかんもあるの」「水か氷ください、死んでもよかですけん」「母さん、戦争だものね」「今まで悪かったことを許してね、お母さん。よか場所はとっとくけんね」…。つらい、悲しい言葉です。でもこれが、忘れてはならない真実です。
◆だから、あなたも
私たちは自分自身のこととして、この真実を受け止めなければなりません。過ちを三たび繰り返してはなりません。彼らの面影を直視して、過去からの声に耳をふさぎません。
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