今年、米国の作家エドガー・アラン・ポーは生誕二百年。その難解な詩『大鴉(おおがらす)』の中で、この鳥はこんな不思議な声で鳴く。ネヴァモア▼NEVERMOREとは、「二度と決して…しない」。きょうは、広島原爆忌。あの惨禍で命を奪われたおびただしい数の魂が、世界に向けてささやき続けている声に耳を澄ませば、やはり聞こえてくる気がする。ネヴァモア、ネヴァモア…▼中国の伝説に出てくる精衛(せいえい)はもっと小さな鳥。東の海で溺(おぼ)れて、命を落とした少女が化した。倦(う)まず、西の山の小石をふくんでは運び、その東の海を埋めようと頑張る。なのに<精衛、海を〓(うず)む>は「無謀な企てが徒労に帰す意」とはあまりの解釈▼こちらはもっと知られたエクアドルの伝説。クリキンディという名のハチドリは森が火事になった時、水源から一滴ずつ水をふくんでは運び、炎に落とした。無駄なことだと言うほかの動物たちにクリキンディは答えた。「私は、私にできることをしているだけ」▼世界の核兵器を廃絶する。それが難事なのは確かである。だから、ともすれば、中国流の伝説解釈に流れがちだが、やはりエクアドル流を旨としたい。一人ひとりが、小さな鳥たちの奮闘をまねて、とにかく一滴の水、一つの小石を運び続けるしかない▼それでも、山火事は消えぬ、決して海は埋められない、などと誰に言えようか。