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天声人語

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2009年8月6日(木)付

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 使ってしまった国の大統領が廃絶を口にし、隣国の独裁者が実験を重ねる核兵器。かすかな希望と、空恐ろしい現実のはざまで、広島原爆の日を迎えた。あの時生まれた命は64歳になるのに、人類の歩みの、なんと遅いことか▼原爆の夜に交錯した生と死。詩人、栗原貞子さんの代表作「生ましめんかな」は、地下室での出産劇を描いた。4年前に没した詩人宅から、未発表の86編が見つかったという。「こえ」はこう始まる▼〈その日、生きのこった人々は/いろとりどりの夏の花と/線香をその前に供え/あの日の悲しみをつみ重ねるように/花と線香の山をつくった。/焙(あぶ)るような光のなかで/香煙は碑をつつみ/人らは目をとじてぬかずいた……〉▼モノクロの風景として、1955(昭和30)年の原爆忌が残る。平和公園は立ち退き前の民家で雑然とし、まさに焙る光の中、ひしめく参列者の頭上を煙が流れる。地元の写真家明田弘司(あけだ・こうし)さん(86)による一枚だ▼近刊の写真集『百二十八枚の広島』(南々社)で、悲憤だけではない被爆地を知った。50年代を中心に、他の焦土と同じか、それ以上の力強さで復興していく街がそこにある。原爆ドーム前に現れたお好み焼き屋、被爆瓦を観光客に売る露店。まずは生きなければならない▼街は戻り、新たな命が平和の時を生きる。だが、戻らぬ時と帰らざるものを語り継ぐ人たちは老いていく。一瞬で、あるいは長い苦しみの果てに消えた命たちに、そろそろ報いたい。利いたふうな現実論は、核廃絶への歩みを鈍らせるだけだ。

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