HTTP/1.1 200 OK Date: Tue, 04 Aug 2009 20:18:25 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:裁判員スタート 扉は市民に開かれた:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

裁判員スタート 扉は市民に開かれた

2009年8月4日

 裁判員裁判が始まった。刑事司法に対する国民参加は、日本社会を大きく変えるきっかけになり得る。「市民主体」を念頭において制度を磨き上げ、透明で市民常識の反映する司法を築きたい。

 東京地裁で審理が始まった第一号の事件は、隣人同士の紛争が殺人に発展したケース。検察、弁護側の間に深刻な対立はなく、焦点の量刑決定に市民感覚がどう影響するか注目される。

 法廷では、被告人が看守と離れて弁護人の隣に座り、事件の説明にイラストやコンピューターグラフィックスが使われるなど、従来とは様変わりした。裁判員に有罪との予断を与えず、かつ分かりやすくという工夫である。

 法律家だけの裁判では気づかなかった疑問点、問題点には今後も柔軟に対応してほしい。

 新方式にはある種の違和感があるかもしれない。だが、以前とむやみに比較して法律専門家のみによる裁判の権威を懐かしがるのは慎み、制度を定着させたい。

 裁判員が判断を誤らないような訴訟活動をするのが専門家たる検察官、弁護人の役割だ。裁判官は市民主体を意識して訴訟を運営しなければならない。

 司法制度改革の重要な柱である裁判員制度は、法律家のエリート意識に支配されていた司法界の扉を市民に開け放った。その効果は各方面で既に表れている。

 裁判官による裁判でも、「疑わしきは被告人の利益に」という原則を強く意識した無罪判決が珍しくなくなった。

 検察も市民の目を意識するようになった。福知山線の脱線転覆事故でJR西日本の社長を起訴したのはその一例だ。微妙な事故責任の判断を検察段階で完結させず、公開の法廷にゆだねたのは開かれた検察への第一歩と評価できる。

 懸念は国民の参加意識である。今回、少数ながら早くも呼び出しに応じない裁判員候補者がいた。市民は統治主体者、つまり国を動かす主役としての自信と使命感を持ち積極的に参加したい。

 参加をためらわせる制度上の問題点解消も急務だ。例えば、法律家だけで争点を煮詰める公判前整理手続きは、相変わらず専門家が裁判を仕切っているようだし、裁判員の守秘義務は厳しすぎて経験共有の障害になる。

 市民が扉を意識しない司法の実現を目指し、参加しやすいよう、参加したくなるよう、制度の改善にたゆまぬ努力が求められる。

 

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