HTTP/1.1 200 OK Date: Wed, 05 Aug 2009 02:18:36 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:静岡県・浜名湖の一画を杭(くい)と板で囲っただけの水泳場。…:社説・コラム(TOKYO Web)
東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 筆洗 > 記事

ここから本文

【コラム】

筆洗

2009年8月5日

 静岡県・浜名湖の一画を杭(くい)と板で囲っただけの水泳場。それが「最初のプール」だった。泳いでいると、魚が目の前を横切った。この時、古橋広之進さん、まだ小学四年生▼本紙連載の自叙伝『この道』によれば、終戦翌年に入った日大水泳部のプールは戦時中、防火用水に使われていたため、藻が茂り青くどろどろ。水泳講習会では、田んぼの水を引いたプールでも泳いだ。泥がたまりヒルがうようよしていた▼昭和二十四年、全米選手権で次々に世界記録を塗り替えたのはロサンゼルスの五輪プールだ。度肝を抜かれた米メディアは「フジヤマのトビウオ」の異名を贈った。敗戦復興未(いま)だしのころ。国民がもらった勇気の大きさはいかばかりか▼全盛期を過ぎていた三年後のヘルシンキ五輪で惨敗した時、実況アナが涙ながらに訴えた台詞(せりふ)でも、それが分かる。「日本の皆さん、どうか古橋を責めないでください」▼現役引退後も日本水連会長などとして活躍したが現場主義は貫いた。二日、八十歳で永眠したのも世界水泳開催中のローマの地。その会場が偉大なスイマーの出会った「最後のプール」になった▼現役選手への口癖は「魚になるまで泳げ」。その度に、あの浜名湖の「最初のプール」で魚と追い掛けっこした日々を思い出すのだと、古橋さんは書き残している。「泳心一路」。座右の銘そのままの人生だった。

 

この記事を印刷する