存在の大きさをあらためて思い出させる急逝だった。八十歳で旅立ったフジヤマのトビウオ、古橋広之進さん。その純粋で一途(いちず)な人生から学ぶべきことは、いまも少なくないはずだ。
水泳選手・古橋広之進が自由形の各種目で世界新記録を連発し、戦後間もない世の中を大いにわかせてから、もう六十年がたつ。だが、世界中からフジヤマのトビウオとたたえられた名スイマーの快挙は長く語り継がれ、いまも輝きを失っていない。敗戦にうちひしがれた国民を勇気づけた力泳は、それほど鮮烈だったのだ。
その後は日本オリンピック委員会や日本水泳連盟、国際水泳連盟などの要職を歴任し、息長く多くの貢献を積み重ねてきた。日本スポーツ界の顔として、これほどふさわしかった人物はいない。国内外での名声に加え、いくつになってもスポーツマンとしての心を持ち続けた人だったからだ。世界水泳選手権が開かれている地での旅立ちは、いかにも古橋さんらしいと言っていいだろう。
トビウオの伝説がいつまでも忘れられずに残ってきたのは、ひたすら自分の選んだ道を突き進み、どんなつらさ、苦しさにもひるまなかった姿がさまざまに伝えられてきたからに違いない。食べ物も用具も乏しい終戦直後に、大学で学びながら一日八、九時間も泳ぎ込み、独自の工夫や研究も怠らなかった。「人が五やれば、自分は十やる」「けがや苦労もプラスに変え、励みにした」といった言葉に、並外れた努力の一端がうかがえる。そんな一徹さ、純粋さが時代を超えて人々の思いと共鳴してきたのだ。
時は流れ、来年は戦後六十五年を迎える。社会は多様さを増し、価値観や人生の目標、生き方といったものも大きく変化している。ただ、機会あるごとに過ぎた時代を振り返ってみるのも大事だ。たとえば古橋さんの人生からあらためて感じるのは、自分の信じるところを迷わず追い求める一途な心や、一生懸命頑張って、けっしてへこたれないという単純素朴な思いが生み出す力である。
ともすれば素朴な一生懸命さや努力が軽んじられる時代。とはいえ、それがいつの世でも社会を支え、新たな道を開く一番の力になるのは言うまでもない。トビウオが遺(のこ)していった鮮烈な航跡を、いま忘れかけているもの、失ってはいけないものをもう一度考えるよすがとしたい。
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