水泳の国民的英雄として戦後日本に希望を与え、スポーツ選手として初めて文化勲章を受章した古橋広之進さんが80歳で亡くなった。日本スポーツ界にとって大きな損失であり、巨大な星が落ちた感がある。
「フジヤマのトビウオ」の愛称が生まれたのは、1949年の全米選手権だったが、その名を一躍世界に知らしめたのはロンドン五輪が開催された前年(48年)のことだ。
第二次世界大戦の終結から3年後。「戦犯国」として五輪に招待されなかった日本は、同時期に東京で日本選手権を開催。古橋さんは400メートル自由形、1500メートル自由形でいずれも五輪記録をはるかに上回る世界新記録で優勝した。
泳ぐたびに更新した世界記録は33度といわれる。同時に文化勲章を受章した作家の田辺聖子さんが言うように、日本人が誇りや自尊心を取り戻し、戦後日本が息を吹き返すきっかけをつくった点で、スポーツ界を超えた存在だったといっていい。
競技を離れた後は日本水泳連盟、日本オリンピック委員会の会長などを歴任し、日本の「顔」として活躍した。息を引き取ったのも、世界水泳選手権が開かれているローマだった。
日本水連の佐野和夫会長は、駆けつけた国際水連関係者から強く抱き寄せられて「大丈夫か」と声を掛けられたという。故人が国際的にも大きな存在感を持ち、尊敬されていたことを物語るといえるだろう。
座右の銘は「泳心一路」だったという。命日はくしくも選手権大会の最終日。参加した競泳日本代表の愛称が「トビウオジャパン」だったことも偶然とは思えない。日本はその遺志を継ぎ、大海を突き進むトビウオのように世界に飛躍してほしい。
心からご冥福をお祈りする。