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社説

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裁判員始動―市民感覚を重ね合わせて

 黒い法服の裁判官3人だけが占めてきた裁判官席。そこに私服の6人が二手に分かれ、裁判官たちを挟んで座った。後ろには補充裁判員3人も控えた。こうしてきのう、市民が参加する裁判員裁判が始まった。

 陪審制があった戦前の一時期を除き、連綿と続いてきたプロだけによる日本の裁判に、主権者である国民の代表が参加した歴史的な日である。

 最初の審理として東京地裁で裁かれているのは、72歳の男が隣人の女性を刺殺した、として殺人罪で起訴された事件だ。

 法廷からは、供述調書や鑑定書といった書類の山が消えた。代わりにモニター画面に、主張や証拠物の要点をまとめた文章や画像が映しだされた。検察官や弁護人は、裁判員の方を向いて口頭で訴えた。これまで飛び交っていた法律家の専門用語はかなり減った。

 裁判員の負担を減らすため、審理は集中して行われる。この裁判も4日連続で審理し、判決を言い渡す予定だ。

 これまでは公判の間隔を空け、裁判官は法廷外で調書を読み込んだ。しかし、裁判員が膨大な書面を読むことはできない。法廷で繰り広げられる証人尋問や被告への質問をみて、検察官による有罪の立証に合理的な疑いがないかを判断することに力点が置かれる。

 この法廷中心の審理こそが、日本の刑事裁判を大きく変えることになると期待されている。

 捜査員は容疑者から供述を得ることに心血を注ぐ。取調室でひとたび自白すれば、被告が法廷で否認しても、裁判官は自白調書の方を重視する傾向が強かった。

 それが「調書裁判」といわれ、法廷が検察の起訴を追認する場になっていると批判されてきた。過度に自白調書に寄りかかる裁判が、今日まで続く冤罪史の背景の一つになってきたことも否めない。

 司法に市民が参加してきた歴史を持つ欧米では、陪審員や参審員の目の前で行われる法廷での審理が中心だ。それとは異質な日本の刑事司法の姿は、「ガラパゴス的」といわれてきた。その孤島へ、裁判員といういわば「新種」が上陸してきたわけだ。

 裁判員に求められているのは、日々変わりゆく社会に身を置き、虚々実々の世間を生きている庶民ならではの感覚だ。プロの裁判官が持ち得ないような視点こそが大切なのだ。

 そんな市民の視点を反映するには、裁判官との評議で裁判員たちが自由に意見を言えることが前提となる。その雰囲気を作るのは裁判官の責任だ。

 この制度には、人々の間になお困惑や抵抗感もある。制度を定着させ、皆が共感できるようにするには、市民の感覚を判決に生かした実績と経験を着実に積み重ねていくことだ。

介護認定混乱―利用者と現場の声を聞け

 後期高齢者医療制度の混乱から、厚生労働省の人々は何を学んだのだろうか。そう言いたくなる事態だ。

 介護サービスを受けるのに必要な要介護度の認定基準が、4月に改定したばかりだというのに、多くの項目でまたも修正されることになった。

 4月の改定は、地域によって認定にばらつきが出ないよう、基準をわかりやすくすることが目的だった。だが、実施前から「新基準だと介護度が軽くなってしまう」と、現場のケアマネジャーや利用者から懸念が出ていた。

 要介護度が軽くなると、介護サービスの利用限度額が低くなるので、「必要なサービスが受けられなくなるのでは」という不安も広がった。

 実施してみたら、やはり介護度が軽くなる人や非該当とされる人の割合が増えた。「主治医の意見書なども考慮するので軽くなるとは限らない」という厚労省の説明も崩れた。

 厚労省は改定時に、仮に要介護度が軽くなっても従来の要介護度のままにする特例もつくった。だが、自治体の現場から「それでは認定審査の意味がない」と不満が噴き出した。

 これらの結果、今回の修正に踏み切らざるを得なくなったのだ。

 こうした混乱の原因は、厚労省が介護の現場や利用者の声をきかず、十分な検証や周知させる努力がないまま基準の見直しを進めたことに尽きる。

 4月の新基準では、ズボンの着脱を手伝ってもらう人は「介助あり」と判定されるのに、おむつの人が「介助なし」になってしまうなど、明らかにおかしな項目もあった。こんなことは、現場の人たちに見直し作業に加わってもらっていれば、防げたはずだ。今後の大きな反省点にしてほしい。

 基準は必要に応じて改定したり修正したりすることは必要だろう。だが、その際に避けなければならないのは、本当に介護が必要なのに要介護度が軽く判定されるような事態を引き起こしてしまうことだ。

 介護の必要度というのは本来、ケアに要する時間などに基づいて決められている。その観点からみて、今回の修正後の基準なら妥当なのかどうか、引き続き検証を続けてほしい。

 今度のような批判が出た背景には、厚労省が社会保障費の抑制を進めてきたという事情もある。基準や運用の見直しで、介護の費用をまた抑えようとしているのではないか、と受け止められたのだ。

 介護保険制度をめぐっては、限られた保険財政の中で軽度の人のケアを保険でどこまでカバーするのか、制度の担い手が今のまま40歳以上でいいのかなど、さまざまな議論がある。

 実施から9年。ますます利用者が増える制度をどう安定させるのか。政治が広い視野から道筋を示す時だ。

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