花火大会は夏の風物詩の代表格だが、大敵は雨だ。今季は多分、中止になった大会も多いのではあるまいか▼過日、鵜(う)飼いで名高い岐阜・長良川畔に花火見物に出掛けた。開始前、雨はやんでいたが、また今にも降りだしそうな雲行き。それ故(ゆえ)か、序盤から盛んに打ち上がること、まさに尾崎紅葉の<雨来(きた)らむとして頻(しきり)に揚がる花火かな>の句のごとくであった▼だが、幸運というべきだろう。その時間帯、空は何とか泣くのをこらえてくれた。おかげで夜空に咲く花々を堪能できたが、光でなく音の方に、ふと思いだしたことがあった▼もう何年も前、当時の赴任地カイロのナイル川で見た打ち上げ花火である。日本政府がイベントの一環で催した大会で、一緒に見ていた地元の人も感激し、こちらも誇らしかった。ところが、翌日の地元紙に「花火大会でパニック」の記事が▼打ち上げ花火に不慣れなこともあり、爆発音だけ聞いた人たちが驚き、各所で騒動になった、というのである。別の知己など真顔で言った。「イスラエルの攻撃かと思ったよ」。アラブで最初にイスラエルと和平した国にして、花火の音を空爆と聞くほど、なお戦争は身近なのか、と考え込んだ覚えがある▼無論、長良川の辺りでは、どんな大きな音がしても人々は平静だった。それが当然。そして、それが当然であるということの幸福を、思った。