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『貧乏物語』が世に出たのは大正の前期である。執筆した経済学者、河上肇の生誕から今年で130年と聞いて、手にとってみた。時をへた古典だが、教えられることは多い▼初めに「貧乏とは何か」について書かれている。かいつまむと、「体や知能など、生まれ持った天分を伸ばしていくのに必要な環境を得ていない者は、すべて貧乏人と称すべきだ」とある。戦後の「教育機会の平等」を見通したような、明快な定義だろう▼その大切な「平等」が、いま揺らいでいる。教育費が高騰し、親の所得格差も広がったためだ。そこへ不況が追い打ちをかけている。家計が許さずに学ぶ道を閉ざされる子が増えているという▼深刻さは、きたる選挙の公約にも表れている。民主党は高校教育の無償化を目玉の一つにすえた。自民は就学援助制度の充実などを盛り込むそうだ。寒さに凍れば、種は芽が出ない。光と水の足りた環境を公的に支える決意は大切である▼先ごろの小紙で、千葉大教授の広井良典さんが「人生前半の社会保障」という考え方を語っていた。平等な教育機会や希望を、若い世代が奪われないための仕組みだという。これまでの社会保障は人生後半に集中してきた。それを年少者にも、という発想だ▼『貧乏物語』で河上は、石川啄木の「働けど働けど……」の歌を引き、貧乏を「社会の大病」と言った。その啄木は、教育を「時代がその一切の所有を提供して次の時代のためにする犠牲」だと書き残している。故(ふる)きを温(たず)ねて、その先に見えてくるものがある。