国際宇宙ステーションで建設が進められていた日本の実験棟「きぼう」は、宇宙滞在中の若田光一さんらによって最後のパーツである船外実験施設が接続され完成した。開発を決めてから24年、自前の有人宇宙施設誕生によって日本の宇宙開発は新たな段階に入った。
米スペースシャトル「エンデバー」で運ばれた船外実験施設は、若田さんのロボットアーム操作で貨物室から取り出された。船外カメラの映像トラブルなどに見舞われたが、作業は順調に進み、操作技術の高さを示した。茨城県つくば市の宇宙航空研究開発機構筑波宇宙センターが、施設の機能が正常なことを確認した。
ここに至る道のりは長かった。レーガン米大統領が呼びかけた有人基地計画に、日本は1985年に参加を表明した。だが、米国の財政難やシャトルの事故などが重なって計画は大幅に遅れ、きぼうの建設も影響を受けた。ようやく2008年3月に土井隆雄さんが船内保管室、同6月には星出彰彦さんが船内実験室を取り付け、一部の実験が行われている。
今回の完成で、無重力などを利用した船内での実験に加え、真空や強い放射能など宇宙空間の特徴を直接利用できる多機能性が備わった。宇宙ステーションの他国の実験棟になく、地上ではできない、あるいは精度の高い実験の可能性が広がる。
ようやく悲願がかなったとはいえ、喜んでばかりはいられない。正念場はこれからだ。開発や建設に投じてきた資金は7600億円、毎年400億円の運用経費もかかる。こうした投資額に見合う成果が上がるか疑問視する向きは多い。
長い年月を要した間に、宇宙で実験する意義が薄らいだ研究分野も出てきた。加えて米国は宇宙ステーションを10年に完成させるとともに、シャトルの使用を打ち切る方針だ。宇宙ステーションの運用についても15年までしか決まっておらず、その先は不透明である。
きぼうは日本の貴重な財産だ。多くの日本人宇宙飛行士が誕生するなど有人宇宙開発の技術を高めるとともに、その活動を通して国民に宇宙を近づけた。とりわけ子どもたちの夢や好奇心を刺激してきた功績は大きい。完成したきぼうを存分に活躍させたい。
そのためにも、質の高い研究や実験の成果を実用化し、社会に役立てる努力が一層必要となろう。機能をフルに生かす大胆かつ柔軟な活用が問われる。