HTTP/1.1 200 OK Date: Tue, 14 Jul 2009 22:19:22 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:外は、霧のような雨だった。立会人も記録係も記者もカメラマン…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2009年7月15日

 外は、霧のような雨だった。立会人も記録係も記者もカメラマンも、みな息を詰めるように黙(もだ)している▼飛騨の名湯、下呂温泉の老舗旅館の一室。五十期の節目を迎えた将棋の王位戦第一局が幕を開けようとしていた。わずかに身じろぎした深浦康市王位の手が動く。7六歩。シャッター音が静謐(せいひつ)を破った▼挑戦者の木村一基八段は瞑目(めいもく)し、眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せてひどく難しい顔だ。まだ二手目に、たっぷり二分考えた末、8四歩。そこまでを間近に見て対局室を出る時、詩人長田弘さんのエッセーにあった印象的な一節が頭に浮かんだ。<必要なのは、おしゃべりでなく、言葉です>▼あくまでにぎやかに分かりやすく。反応の速さと声の大きさを競うバラエティー番組が<おしゃべり>の代表格とすれば、囁(ささや)き声ほどの音もなく盤面に刻まれる一手は、それとは対極の<言葉>だろう▼相手の“一語”をかみしめること、時に数時間に及び、考えに考え、やっと搾り出すようにして指される次の“一語”だ。大慌てで書いたり話したりしている言葉が、どれほどの重さを持ち得ているか。自省を含め、そんなことを考えた▼第一局は二日目のきのう、驚きの「千日手」成立で指し直しになったが、挑戦者が制した。ただ門外漢の哀(かな)しさだろう。残念ながら棋譜を見ても、彼らの<言葉>が何を語ったのかは、さっぱりである。

 

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