脳死論議が盛り上がっていた1980年代終盤から90年代にかけ、「社会的合意は蜃気楼(しんきろう)にすぎない」という意見があった。人の死の定義についてはさまざまな意見があり、そもそも国民一致の「合意」を求めるのは無理とするものだ。
医療関係者のほか法律や宗教家ら幅広い専門家を交えた脳死臨調などで激論が戦わされ、その中から生まれたのが、臓器を提供する場合のみ脳死とする現行の臓器移植法だった。ぎりぎりの「社会的合意」だったといえるだろう。
「脳死は人の死」とする改正臓器移植法(A案)が参院本会議で可決、成立した。臓器提供の年齢制限を撤廃し、本人が生前に拒否の意思を明らかにしていなければ家族の同意で臓器移植が可能になる。
15歳未満の子どもからの臓器提供に道を開き、提供者(ドナー)の数も増えると予想される。移植でしか助からない患者や家族にとって朗報だ。しかし審議は十分に尽くされたのか疑問が残ると言わざるを得ない。
実質的には約3カ月という短期間の議論で、死の定義を一気に越えた。政局混乱のさなかで法改正を急いだ感が否めない。議論の中身も現行法成立時のような濃密さが感じられない。
改正法が抱える問題点も多い。脳死を一律に人の死とすることは終末期医療の現場にも影響を与えるだろう。ドナーの意思を尊重するとはいえ、提供拒否の場合は必ずその意思を表明しておく必要が生じる。親族への優先的な提供と移植医療の公平性をどう折り合わせるかの論議も未消化のままだ。
医療現場での子どもの脳死判定、被虐待児の紛れ込み阻止、救急現場や移植コーディネーターの体制整備など、投げかけられた課題は多い。