HTTP/1.1 200 OK Date: Sun, 05 Jul 2009 22:19:24 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:週のはじめに考える 冷戦終結20年と日本:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

週のはじめに考える 冷戦終結20年と日本

2009年7月5日

 冷戦が終わって二十年。「戦争の世紀」といわれた二十世紀に代わり「平和の配当」が期待された時期もありました。今また一条の光が見えますが−。

 ふた昔前のこと。ベルリンの壁の跡地で東ドイツの少年たちが色とりどりの壁の破片を観光客に売っていました。大が三ドル、小が二ドル。そんな光景を眺めながら「何が壁を突き崩したのだろう」と考えました。その疑問にずばり答えてくれたのが当時の東独大使・新井弘一氏でした。「東ドイツ国民はマルクス主義を捨ててマルク主義に走っているのです」。西独の通貨マルクの魅力がイデオロギーに勝った結果だというのです。

◆期待外れ「平和の配当」

 四十年余にわたる冷戦構造が崩れたとき私たちは「平和の配当」に胸を膨らませました。当時、日本はバブル経済の絶頂期で、一九八九年末の株価は三万八九一五円と史上最高値。年が明ければ「四万円相場」到来と市場関係者は色めき立ちました。誕生直後の連合は賃上げ要求とともに政治改革を掲げました。

 だが日本人の夢は、すぐに砕かれます。翌九〇年には株価が二万円台に落ち、九一年には湾岸戦争勃発(ぼっぱつ)です。「平和の配当」どころか、欧米からは日本が湾岸戦争への資金援助だけでなく、「ショー・ザ・フラッグ」(日の丸を見せろ)、つまり憲法で禁止されてきた自衛隊の海外派遣を求める声が高まりました。

 戦後長いこと、わが国の防衛の基本をなしてきた日米安保体制は冷戦終結後の九六年、大きな転機を迎えます。同年四月の橋本龍太郎首相とクリントン米大統領との間で取り交わされた「日米安全保障共同宣言」では「アジア太平洋地域」という表現が十二カ所も登場します。この時点から日米安保は「アジア太平洋安保」に拡大したといってもいいでしょう。

◆「グローバル安保」に?

 二〇〇一年の9・11米中枢同時テロ、〇三年の米国の対イラク開戦に際して当時の小泉純一郎首相が即座に米軍への後方支援を任務とする自衛隊派遣を決めたのは、ブッシュ米大統領との親密な関係もさることながら、九六年の「安保共同宣言」が背後にあったことは明白です。来年は安保条約改定(六〇年)から半世紀ということで「新日米安保共同宣言」策定の動きも政府与党内に浮上しています。そこでは日米安保を「アジア太平洋安保」から「グローバル(地球規模)安保」に拡大しようとの思惑も読み取れます。

 九一年、旧ソ連邦の解体でイデオロギー上の「自由主義」対「社会主義」、政治上の「議会制民主主義」対「プロレタリア独裁」、経済的な「市場経済」対「計画経済」、軍事上の「北大西洋条約機構」対「ワルシャワ条約機構」といった対立の構図が消え、西側先進国のシステムが優位に立ちました。だが米国では〇一年のブッシュ政権後、北朝鮮、イラン、イラクを「悪の枢軸」と決めつけ、十字軍を気取ったネオコン(新保守主義)主導で新冷戦状況をつくり出したのです。

 オバマ米大統領は、こうしたエスノセントリズム(自国中心主義)とは決別した国際協調路線を掲げています。なかでも四月のプラハ演説は「核兵器を使った唯一の国として行動する道義的責任がある」「米国は核兵器のない世界を目指す」と核廃絶への決意を披歴し、世界の注目を集めました。広島、長崎の被爆者は「一筋の光が差した」と、二十年前に冷戦が終結したときに抱いたのと同様な「平和の配当」に対する期待感を表明しています。

 現在、北朝鮮の核開発問題など北東アジア情勢は緊張しており、先の米韓首脳会談でもオバマ大統領は韓国に「核の傘」を提供することを約束しました。また日本国内では武器輸出三原則を大幅に緩めようとの動きが顕著になっています。日本が今なすべきことは、近隣の軍事的脅威を取り除く必死の外交努力と同時に、この二十年間に「冷戦終結」という事実を平和醸成の具体化に結び付けられなかった点の反省です。国際協調、核廃絶といった平和醸成路線を進めるオバマ大統領の「チェンジ」に乗らない手はありますまい。

 冷戦政策の設計者といわれる故ジョージ・ケナン氏(米外交官、政治学者)が旧ソ連対策として進言したキーワードは「封じ込め」でした。ハンガリーとオーストリアとの国境につくられた鉄条網(鉄のカーテン)も、ドイツを東西に切り裂いたベルリンの壁も、まさしく「封じ込め」でした。

◆「冷戦後」の設計図を

 「封じ込め」の反対は「開放」であり、「交流」であり、「協調」です。日本は、その方向でポスト冷戦の外交・安保政策を確立し、平和構築への強いメッセージを世界に発すべきです。 

 

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