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「五月闇(さつきやみ)」とは、梅雨どきの暗闇を言う。昼なお暗いときにも使うが、歳時記によれば、月も星も雲に隠れた夜をさすことが多いそうだ。そうした深い闇は、蛍の鑑賞には格好の背景になる▼「蛍合戦」の言い伝えを、小泉八雲が書いている。源氏と平家の名をいただく蛍が年に一度、京都の宇治川で熾烈(しれつ)な一戦をまじえる。この晩には、籠(かご)の蛍は全部放して、戦いに加われるようにしてやらねばならないのだという▼文豪の描く戦いのさまは美しい。参集した大群は光る雲のように見える。ぶつかり合って雲は崩れ、水面に散り、落ちた蛍は光りつつ流れ去る。〈川は、漂い流れる蛍のなおきらきらと輝くむくろにおおわれて、さながら銀河のように見える〉。むろん幻想の世界の出来事である▼昔なつかしい蛍が、日本各地でよみがえりつつある。喜ばしいことと昨夏の小欄に書いたら、案じる手紙をもらった。遠隔地の個体を安易に放流すると遺伝子が交雑する恐れがあるのだという。似た指摘が先日の小紙にも載っていた▼個体を弱めたり、生態系を壊したり、様々な心配があるそうだ。思えば蛍にかぎらない。自然を一度損なえば、元に戻すのは不可能に近い。葉っぱ一枚自力では作り出せぬことを、人間は謙虚に自覚すべきなのだろう▼人の営みは多くの生き物を追いつめてきた。各地によみがえった蛍は、人間の近代への猛省を訴えているようでもある。〈じゃんけんで負けて蛍に生まれたの〉池田澄子。五月闇にゆれる光に、人に生まれたわが責務を問い直してみる。